最近の読書記録 | ハゲとめがねのランデヴー!!

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『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

日本のニュースを見て

 

近ごろのニュースによると、わが国には本を好きなだけ公金で買える職業があるという。

 

いいなあ。

夢があるなあ。

 

帰国後に「旅民党」でも旗揚げしたいものだ。

 

公約は狂犬病ワクチンの保険適用、外貨両替の手数料禁止、旅行ガイドブックの軽減税率適用にしよう。

そうそう、旅行中の休業補償も優先的に取り組みたい。

 

そしてわが旅民党が第一党になったあかつきには、国民から毎月500円を徴収して旅人のサポートにあてるという異次元の対策によって、バックパッカーの減少に歯止めをかけるのである!

 

……と考えたが支持層のバックパッカー勢は国外をふらふらしているため投票できない。

やはり政治家になるのは難しく、これからも本は自分の金で買うしかないのだろう(そりゃそうか)。

 

くやしいので無職の身銭をきって買った本を記録しておく。

 

 

 

最近の読書記録

 

 

これまで7か月の旅の間に読んだ本は20数冊(読み終わらないうちに重量削減のため日本に送った本もある)。

 

基本的に日本の本は日本で買い直せるため読み終わったらゲストハウスに寄付し、図録や遺跡の解説冊子など現地でしか買えない本は、隔月くらいの頻度で日本に郵送している。

 

最近読んだのはアジアの国々で集めた本である。

 

スリランカではシギリヤ遺跡の『SIGIRIYA』『Magnificent Sigiriya』、ポロンナルワ遺跡の『The glory of Acient Polonnaruva』。

こうした解説冊子を読むと

 

「このウォーターガーデンはこういう作りだったのか」

「あんまりよく見なかったけど壁画があったのか」

 

などの新たな発見があり、また遺跡に行きたくなってしまう。

 

コロンボにある国立博物館の図録『A Guide to the National Museum Colombo』は、収蔵品の一部を読みやすく小冊子にしていて記念になった。

 

この博物館は工芸品の細かさが素晴らしく、2回訪れたほど気に入っていた。

一部と言わず全部の展示品をおさめた図録などがあったら、ハードカバーの大型本でも買ってしまっていたかもしれない(なくてよかった)。

 

マレーシア、クアラルンプールにあるイスラム美術館の図録『MIRRORS of BEAUTY』は、通常版と子ども版両方購入。

今子ども用を読んでいる。

 

これは「本気で作りました」という気概がビシビシ伝わってくる図録だ。

 

なぜなら図録というのは博物館の展示室順や時代順に遺物の写真を載せ、それに簡単な説明を加えたものが多いのに対し、これは展示の順番など気にせず「旅と観察」「マレー世界のイスラム美術」など新たにテーマを設けて再編成している。

その上で写真の一つ一つに、この遺物はどの展示室で見られるかという情報をつけているのだ。

 

『The Essence of IZNIK』も同博物館のものであり、こちらはポケットサイズのミニ本仕様。

大きさは小さくてもイズニックの陶磁器の発展の様子がわかり、情報量はけっこう多い。

イズニックはトルコにあるので、思わず

 

マレーシアの博物館がトルコよりいい解説本作ってどうするよ……

 

と言いたくなる。

 

フィリピンでも織物の本やらイフガオの絵本やらすでに買ってしまっているが、それはまた別稿で。

 

英語での読書と並行して、日本語の本も読む。

日本の本は辞書がなくても読めて楽だ。

 

クアラルンプールの紀伊國屋書店で買った『物語 フィリピンの歴史』(鈴木静夫、中公新書)はすでにフィリピンの宿に寄付し、今は『海の東南アジア史』(弘末雅士、ちくま新書)を読んでいる最中である。

 

しかし無職なのになぜか出国前より読書量が少ない。

案外旅の間は雑事が多く、読書にまわせる時間が十分つくれずフラストレーションがたまる。

 

もっと読みたい。

思う存分図録を眺めまわしたい……。

 

 

「世界は一冊の本」

 

 

が、しかし旅というのは旅をしているだけで「読む」材料にことかかない。

 

長田弘の詩に「世界は一冊の本」というものがあり、わたしはこの詩がとても好きだ。

 

そこには書かれた文字だけが本なのではなく、

 

「 世界というのは開かれた本で、 その本は見えない言葉で書かれている」

 

とある。

 

外国の風景から何を読むかは旅人次第だ。

 

わたしは単に辞書的に世界を知るだけでなく、「見えない言葉」で書かれた物語を読みとれる旅人になりたい。

しかしたとえ一生をかけて旅をしても、それができるのかは自信がない。

 

この詩の続きにはこんな言葉もある。

 

「どんなことでもない。

生きるとは、 考えることができるということだ」

 

だから旅はわたしにとって生きるために必要であり、旅するなかで何かを考え続けたいと思うのだろう。

 

 

(マニラ、アヤラ博物館。

考古学者たちはこうしたものから世界を「読む」)

 

(「女は愛嬌」はくそくらえだが「陶磁器は愛嬌」には賛成するかも)

 

(話は変わるがブログをアップするとき夫に誤字脱字などのチェックを頼んでいる。

すると最近よく「わかりにくいこと書いとんで」と文章のダメ出しをされる。

 

以前友人にも「難しい言葉で話してる」と指摘されたことがあるのでちょっと気にしている)

 

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