フィリピンで別居、それぞれの道へ | ハゲとめがねのランデヴー!!

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『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

夫と別れる

 

夫と別れることにした。

 

そのいきさつはこうである。

 

ドゥマゲテで友人と会ったあと、フィリピンのどこをまわるかと考えていたとき、夫はえらく断固とした口調で主張した。

 

「エスクリマ、習おう」

 

エスクリマ(アーニス、カリともいう)とはフィリピンの武術で、棒をカンカン打ち合う武術らしい。

 

夫は以前からエスクリマを本場で習いたいと言っており、それは冗談だろうと思っていたら本気であるらしく、普段旅についての情報収集はわたしに丸投げしているくせに、エスクリマの道場を自分で調べていたのである。

 

というわけで、ドゥマゲテの友人に会う前にセブ島のエスクリマ道場を訪ねた。

そこはニワトリの歩く路地裏の奥のわかりにくいところだったのだが、ともかく道場のマスターに会って指導の予約をとりつけた。

 

いつもどおり夫は「英語が話せない」を言い訳にうっすら微笑みながら人形のようにたたずむだけで、レッスンの交渉はすべてわたしがしたということも一応念の為記しておく。

 

夫が2週間ちょっと格闘技を習う間、わたしはセブ島の内陸部でいったい何をしていればいいのか。

夫はわたしも一緒にやろうとすすめてきたが、まったく興味がわかない。

 

この際本でも読んでのんびり過ごし、疲れて帰ってきた夫のパンツでも洗ってやるべきか。

 

……と思ったのは一瞬であった。

 

わたしは妻である前に旅人である。

良い妻をやってる暇があったら知らない土地を歩くべきだ。

常に真剣に旅をするのが旅人の務めである。

 

というわけで、かねてから気になるテーマである先住民アートと土地権問題について知るべく、一人でルソン島北部をまわることに決めた。

 

ドゥマゲテから夫はバスでセブに戻り、わたしは飛行機で首都マニラへ。

 

別居生活の始まりである。

 

 

一人旅して男になれ

 

 

しばらく離れて旅するということを双方の実家に伝えると、夫の家族は意外な反応を示してきた。

 

義母はLINEで夫に

 

「一人でも旅ができる旅人になってください。男になってください」

 

と心配混じりのエールを送り、義姉にいたってはわたしと離れているので夫は殺されるんじゃないかと心配していた。

 

みなさんちょっと待ちなさい。

冷静に考えてみよ。

 

セブ島から動かず武術を習うマッチョな夫と、バスで数都市をまわるひょろっとした文系のわたし。

いったいどちらがリスキーであるか。

 

「女一人でマニラなんて……」

 

などと言われたら「性別関係ある?」などと思うにちがいないが、あまりにみな夫のほうを心配するのでつい、

 

女一人であの悪名高いマニラに行きますよ!

麻薬とかスラム街で有名だったマニラですよ!!

 

と言いたくなった。

 

しかし心配されないのは気楽なのでありがたい。

元来一人旅が性に合っていることもあり、羽をのばしまくって思いきりアートな旅を楽しむことにした。

 

その詳細はこれから。

 

 

 

(マニラ、アヤラ博物館には10〜13世紀の黄金製品の展示があり、スペインによる侵略以前のフィリピンのデザインを見ることができる。

 

この展示、何時間いても飽きない。

一日中いたいが入場料が高いので、その日のうちに他の階の展示も見終わらねばならず忙しかった。

 

この女性はヒンドゥーの女神と共通する要素があるらしく、インドネシアや南インドの商人などによって、ヒンドゥーのコンセプトがもたらされていたからだという。

 

遺物は当時のネットワークを語る)

 

(福笑いを想像してしまった。

こういう部品仕様のデスマスクはどのように使われていたのか大変気になっている)

 

(容器の一部に鳥や動物らしき装飾がほどこされていた。

 

模様のない単なる透かし細工と思い素通りしそうになったが、油断ならないぞフィリピン)

 

 

 

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