ごきげんいかがですか

水曜日は清水比庵の歌をご一緒に

 

わが生れ抱かれてゐしを見て知るといふ人九十七歳われ九十一        

 

歌会始の召人に、6回なっているが、最後のもの。昭和48年、御題は「子ども」だった。自分の生まれたときのことなどをしるという人がいる。97歳になっている。考えてみれば、自分も91歳になっているのだ。比庵は、召人の時の歌に、年齢を入れることが多かったと記憶する。今後、歌を拾っていきながら、確認をしていきたい。尚、召人に初めてなったのは昭和41年84歳。御題は「声」だった。

 

歌会始の歌から

水清き川の流れて山高し日は山を出で川をわたるも

お題 川

高梁(岡山県)歌碑になっている。

ふいご峠にあるという。

 若き日の清水比庵 父を早くに失い、書生に出るなど 苦学した。

卒業時には、かなりの借金を抱えていた。

短歌の記憶

敷藁の為に刈らるる青き麦倒れて白き花粉を散らす

 

当地では、冬の間 麦を植える人がいる。目的は、食べるためではない。おもに二つある。

一つは、良く熟して、来年度の種を取るためのものだ。時々、雀にやられたりする。

もうひとつは敷き藁を作るためだ。

麦の藁は、雨に当たっても、腐りにくいので重宝がられる。

さて、敷き藁を取るために刈る時期は、ある程度成長していれば、いつでもいい。まだ、青麦の時もある。ある時、ちょど開花時期に、刈っているのにであった。刈られて倒れた麦は、白い花粉を振りまいた。

あわれであった。

 

では御機嫌よう さようなら