桜庵の箏日記 ~箏曲「秋の言の葉」 と 岡山~

   日曜日担当、箏・三絃大好き「桜庵」です。今日は、箏曲「秋の言の葉(あきのことのは)」 の紹介です。
   「秋の言の葉」 は、明治10年(1877年)頃に作曲された、「明治新曲」 のひとつです。
 

   まず、「明治新曲」 の説明をしておきます。

   明治4年、盲人音楽家の保護期間でもあり治外法権団体でもあった 「当道職屋敷」 が廃止され、それまでの検校さん、勾当さんたちの生活は一変します。
   箏や三絃の演奏の形も大きく変化します。
   そうした中、調弦法や演奏法を工夫して、新しい曲、「明治新曲」 と言われるたくさんの曲が生まれるのです。
   例えば、菊末勾当作曲「嵯峨の秋」、幾山検校作曲「萩の露」、松坂春栄作曲 「楓の花」、寺島花野作曲「新高砂」、菊原琴治作曲「摘草」などです。
   三絃が入らず、箏の重奏(本手と替手)による歌が入った曲が多いのも特徴のひとつです。

 
   正直言うと、私には、宮城道雄作曲のものが、それまでの曲とは大きく違っていることは分かるものの、「明治新曲」と、それ以前の曲の違いは、すぐには分かりませんでした。
   ただ、若い頃から、
   「なんとなく、明るく、親しみのある古曲だなあ。」
と思った曲が、「明治新曲」 だったということが、よくありました。

    今回紹介する 「秋の言の葉」 も、この「明治新曲」のひとつなのです。

   次に、「秋の言の葉」 の歌を紹介しましょう。
 散り初(そ)むる  桐(きり)の一葉(ひとは)に自(おのず)から
 袂(たもと)涼しく朝夕(あさゆう)は  野辺(のべ)の千草(ちぐさ)に  おく露(つゆ)の 
  露の情(なさけ)を身に知るや  誰(たれ)松虫の音(ね)に立てて
   いとどやさしき鈴虫の  声にひかれて武士(もののふ)の
  歩(あゆ)ます駒(こま)のくつわ虫   哀(あわれ)は同じ片里(かたざと)の
  いぶせき賎(しず)が伏屋(ふせや)にも    つづれさせてふきりぎりす
  はたおる虫の声々(こえごえ)に    合わす拍子(ひょうし)の遠砧(とおぎぬた)

  面白(おもしろ)や 更(ふ)け行(ゆ)くままの 大空(おおぞら)に
  隈(くま)なき月の影清き  今宵(こよい)ぞ秋の最中(もなか)とは
  昔人(いにしえびと)の言(こと)の葉(は)を
  今に伝えて敷島(しきしま)の  道の栞(しおり)と残しける


  たくさんの秋の虫が登場します。
  秋の風情を歌ったものです。
 

   「言の葉(ことのは)」 は、葉っぱのことではなく、「言葉(ことば)」 のことです。
   ですから、「秋の言の葉」は、「秋の言葉(ことば)」 という意味合いです。
   にもかかわらず、私には、 「赤や黄色の色とりどりの葉っぱ」 のイメージが、この曲に合う気がしてしまいます。



   さて、ここで、
   「岡山」 登場です。
 

   この歌の作詞者は、岡山藩主 「池田茂政(いけだしげまさ)」です。 
   徳川斉昭( 「水戸黄門」としてなじみ深い人)の9男だそうです。

   箏曲のために作詞したとは思えませんから、この歌(詩)が先にあって、後から曲がついたのでしょう。

   そして、作曲者は 「西山徳茂一(にしやまとくもいち)」 です。
   西山徳茂都(にしやまとくもいち)、または西山検校として、紹介されていることもあります。
   この方の出身が、岡山県ですから、
   何だかの関係で、岡山藩主の歌とつながったのでしょう。


   「秋の言の葉」 は、箏二重奏または、箏本手・替手・尺八の三重奏で演奏される曲です。
   曲の途中で、平調子から中空調子に変調します。
   手事の替手は、徳茂一自身、後歌の替手は、松阪春栄が補作し、華やかな曲になっています。
   手事の一部に、「根曳きの松」 のフレーズが登場するのも、楽しい発見です。
   ぜひ、動画を検索するなどして、聴いてみてください。
   人気のある曲で、演奏される頻度が比較的高い曲です。
   そういえば、先日11月8日(月)のNHK FM「邦楽のひととき」でも、演奏されていました。

   偶然、車の中で聞いて、「ラッキー!」 と喜んで耳を傾けました。   


   ところで、
   NHKの朝の連続ドラマで、
   岡山の和菓子屋さんが登場しますが,
   私にとって、岡山のお菓子と言えば、次の3つです。
   岡山の皆さん、反論があったら、ごめんなさい。

   1 大手饅頭
   2 白十字のワッフル
   3 きび団子 
   番外 カブトガニ饅頭
 

  では、また来週! 桜庵でした。