海外土産でうれしかったものは?

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1859年(安政6年)6月28日(旧暦5月28日)、江戸幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出した。貿易に携わる企業だけでなく、広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深める日として記念日とした。

江戸時代幕末の当時、輸出入品の取引は、港に設置された居留地(きょりゅうち)と呼ばれる外国人の居留および交易区域で銀貨を用いて行われた。輸出入額では横浜が、取引相手国ではイギリスが多かった。日本からの輸出品としては生糸(きいと)や茶、海産物、石炭など、輸入品としては綿織物や毛織物、鉄砲、艦船などが多かった。

 

 

なにしろ海外へ行ってみたくて

数ある商社の中で「海外駐在の可能性が一番高い」

と言われていた商社を選んで入社

 

新入社員の心得として

とにかく貿易手続き精通する必要があり

当時は輸出も輸入もお役所の許可がなければ

出来ない仕組み

通産省の許可を貰いに日参したものです

 

入社6年目1963年にマニラ駐在を命じられました

マニラ3年 帰国直前の記念写真

 

 

 

 

1972年にはヒューストン駐在6年半

 

 

 

1981年ヒューストンの合弁会社派遣

 

 

それでも、なんとか文明国の駐在でよかったです

 

 

同期に入った友達では

アフリカのキンシャシャ・コンゴー、

パキスタンのカラチ、ブラジルのサンパウロと

厳しいところばかり渡り歩いた人も居るし

 

熱帯地方でマラリアにかかり

生きて帰ったものの後遺症がぶり返し若死にしたひともあり

私の場合まぁ苦しいことも多かったけど

全体的にはまぁまぁでした

 

折角商社に入っても

経理部門や国内支店で一生終わる人もいますからね

 

私の大学での専門は会計学なんですけど

なるべく表に出さないようにしました

経理部に回されるのは嫌でしたからね

しかし、経理の知識が営業でも随分役に立ちました

 

そうそう

お土産の話

ヒューストンから家族ぐるみで帰って来たとき

義兄にお土産としてジョニー・ウオーカーのウイスキーを買ってきました

当時の日本ではウイスキーは安いのがトリス、高級品ががサントリー

ほかにニッカウヰスキーなどありましたが

なかなかジョニー・ウオーカーの「黒」ラベルは手に入らない貴重品でした

 

 

ところが義兄は

「こんなもの、日本では高いけど

アメリカじゃ安いんだってな。

安くていくらでも買えるそうじゃないか。」

安い、安いを連発。

私も腹が立って「安物で悪かったな。じゃぁ、持って帰る」

と言いたいところ、留守中に父母がお世話になったこともあり

グッとこらえましたよ。

 

その後、義兄とはないもかもそりが合わず

随分ひどい目に逢いましたよ。