今日も源平の合戦よりの歌です

 

 

尋常小学校三学年唱歌

「鵯越(ひよどりごえ)」

 

 

一、
  鹿しかあしうまあし
  鹿しかえゆくこの坂路さかみち
  うませない道理どうりはないと、
  大將たいしょう義經よしつね眞先まっさきに。
二、
  つづく勇士ゆうし一騎當千いっきとうせん
  ひよどりごえいてれば、
  平家へいけ陣家じんや眞下ましたえて、
  たたかいいま眞最中まっさいちゅう
三、
  油斷大敵ゆだんたいてきうらやまより
  三千さんぜん餘騎よきのさかおとしに、
  平家へいけ一門いちもんおどろきあわて、
  屋島やしまをさしてちてゆく。

 

 

 

精兵70騎を率いて、一ノ谷の裏手の弾劾絶壁の上に立った義経は戦機と見て坂を駆け下る決断をする。

『平家物語』によれば、義経は馬2頭を落として、1頭は足を挫いて倒れるが、もう1頭は無事に駆け下った。義経は「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」と言うや先陣となって駆け下った。坂東武者たちもこれに続いて駆け下る。二町(218メートル)ほど駆け下ると、屏風が立ったような険しい岩場となっており、さすがの坂東武者も怖気づくが、三浦氏の一族佐原義連が「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ」と言うや、真っ先に駆け下った。義経らもこれに続く。大力の畠山重忠は馬を損ねてはならじと馬を背負って岩場を駆け下った。なお『吾妻鏡』によれば、畠山重忠は範頼の大手軍に属しており、義経の軍勢にはいない。

崖を駆け下った義経らは平家の陣に突入する。予想もしなかった方向から攻撃を受けた一ノ谷の陣営は大混乱となり、義経はそれに乗じて方々に火をかけた。平家の兵たちは我先にと海へ逃げ出した。

義経は牛若丸時代からお供は弁慶のようです