末期がんの「あさ」さんのブログ、リブログさせていただきます。

 

 

 

お医者様も患者の気持ちを忖度せずに、事実を伝えるという感じのようです。

 

最近、いろいろな有名人の方の訃報に接し、こんな言葉を思い出しました。

 

 

 

「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」 

 

「もう二度と女になんかに生まれはしない」

 

 

 

明治時代の小説

徳富蘆花作

「不如帰(ほととぎす)」の中の名セリフです

 

 

 

あらすじ:

幼くして母を亡くした浪子は冷たい継母、優しい父片岡陸軍中将のもとで18歳になったが、川島家の若い当主と結婚することになり、初めて人生の幸福をあじわうことができる。明るい川島武男少尉と伊香保で新婚をすごして、夢のようである。夫は遠洋航海に出て、気難しい姑川島未亡人につかえて、1人で耐える。

半年ぶりに夫に会い、ふたたび蜜月をすごす思いであるが、風邪から結核にかかり、逗子に転地することになる。しだいに回復するところに、浪子に恋していた千々岩が失恋のはらいせに、伯母川島未亡人に伝染病の恐ろしさ、家系の断絶を言い立て、武男の居ない間に浪子を離縁させる。武男が知ったのは、日清戦争開戦間際だったから、母と争う時間もないまま、やけで砲丸の的になれと涙ながらに戦場にむかう。

武男は黄海の戦いで、負傷し、佐世保の病院におくられ、無名の小包を受け取る。送り主の浪子は武男からの手紙を逗子で受取り、相思相愛で寄り添うことのできないのを悲しみ、思い出の地不動の岩から身を投げようとし、キリスト教信者の女に抱き留められ、宗教に心慰められる。

傷も癒えてふたたび戦場に向かう武男は、旅順で敵に狙撃されようとする片岡中将を救う。凱旋した片岡中将は、病気の浪子を慰めようと関西旅行をして、山科駅で台湾へ出征する途中の武男を車窓に見る。

浪子の病気は帰京してますます重くなり、伯母で仲人の夫人に武男あての遺書を託して、月見草のように淑やかな生涯を終える。訃報に接した武男が帰京の日に、青山墓地に行くと、墓標の前で片岡中将と巡り会い、中将は武男の手を握り「武男さん、わたしも辛かった」「娘は死んでも、喃、わたしは矢張りあんたの爺ぢや」という。

 

 

泣いて血を吐くホトトギス

 

 

 

村上幸子さんが歌う「不如帰」

彼女の勝負曲でヒットしたが

1990年7月23日

31歳の若さで悪性リンパ腫のため亡くなった