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一度書いたことがあるかと思ったけど
検索したら、まだ書いていませんでした。
 
昭和19年、小学校4年生の時に集団疎開に行きました。
 
行く先は
新潟県 中蒲原郡 名香山村 字赤倉
香雲閣
 
今でも住所を忘れていませんでした。
 
妙高山のふもと赤倉温泉が滞在先でした。
 
妙高山の雄姿
 
 
8畳の部屋に6人くらいいましたかね
沢山の生徒が旅館に分散して滞在しました。
 
行ったのが夏休み
はじめての冬は豪雪に見舞われました。
初雪の時に 朝起きたら一メートルの雪が積もっていて
「わぁ、これで学校が休みだ。」
と喜んでいたら
村人が雪を踏み固めて 藁沓(わらぐつ)を用意されて
近くの旅館が教室です。
 
私は6年生の兄と二人でしたが
冬は雪に埋もれて身動きができない。
 
そこへ
東京の両親から「スキー」の板が送られてきたから
みんなに配る。全員集合!となりました。
 
次々と名前が呼ばれて先生のところへスキーを取りに行きました。
兄が呼ばれてスキーを貰ってきました。
最後まで私の名前は呼ばれませんでした。
 
集団疎開に兄弟で行っている生徒も何組かありましたが
全員スキーを貰っている。
私だけスキーがありませんでした。
 
日曜日になると
若い先生たちは張り切って
子供たちを集合させスキーに行きました。
 
わたしだけポツンと旅館に残されていました。
 
多分、私の両親は
兄弟で譲り合って使えばいいじゃないか
くらいの考えだったと思います。
しかし、兄だってみんなと一緒にスキーをしたかったでしょう。
私にスキーを履くチャンスはありませんでした。
 
妙高のスキー場
 
 
やがて年が明けて3月になりました。
6年生は卒業です。
 
六年生の卒業写真
真ん中の二人が先生
二人とも疎開中に召集令状が来て旅立って行きました
 
 
兄が帰京して
やっとスキーが私のものになりました
しかしスキーを指導してくれる先生はもういませんでした
 
すぐに4月が来て
雪解けになりました。
もうスキーのシーズンは終わりでした。
ついに私はスキーを履くチャンスを逸してしまいました。
 
その夏
私は下痢と高熱で寝込んでいました
そこへ母が面会に来て
私の状態を見て
東京へ連れて帰ることに決めました。
 
私が東京の実家に帰って間もなく
敗戦となりました。