美空ひばりが亡くなってから

今年で32年になる

1937円(昭和12年)5月29日生まれだから

生きていれば

あと一か月で84歳になる

懐かしい映像を見てみましょう

 

 

映画「ビックリ五人男」より

「東京ブギ」を歌う美空ひばり

共演は川田晴久

1948年2月、神戸松竹劇場への出演に際して、神戸での興行に影響力を持っていた暴力団・三代目山口組組長の田岡一夫に挨拶に出向き、気に入られた。同年5月、まだ無名の存在であった11歳の少女・ひばりの才能を見込んだ当時人気絶頂のボードビリアン川田義男(のちの川田晴久)に横浜国際劇場公演に抜擢された。川田はひばりをそばに置いてかわいがり、また、ひばりも川田を「アニキ」と呼びよく懐いていた。川田に大きな影響を受けたひばりは、節回しを川田節から学んでいる。専門家による声紋鑑定でも二人の節回し、歌い方が一致する結果が出ている。ひばりは「師匠といえるのは父親と川田先生だけ」と後に語っている。

川田一座では当時のスター歌手笠置シズ子の物まね(歌真似)が非常にうまく“ベビー笠置”と言われ拍手を浴びる。純粋に「かわいい」と見る層がいた反面、「子供が大人の恋愛の歌を歌うなんて」という違和感を持つ層も存在した。詩人で作詞家のサトウ・ハチローは当時のひばりに対し「近頃、大人の真似をするゲテモノの少女歌手がいるようだ」と、批判的な論調の記事を書いている。

 

 

 

映画「悲しき口笛」より

共演の二枚目は原保美

同年代の私は当時彼女の映画を一生懸命見ていた

 

1950年川田晴久とともに第百歩兵大隊二世部隊戰敗記念碑建立基金募集公演のため渡米。

帰国してすぐに2人の主演で『東京キッド』に出演。映画とともに同名の主題歌も前作同様の大ヒットとなった。

 

 

 

「リンゴ追分」

ピアノを弾いているのは

当時の渋い二枚目 山村総

元々は、1952年4月月にラジオ東京(現TBSラジオ)の開局を記念して放送されたラジオドラマ『リンゴ園の少女』の挿入歌として製作され、同年11月に『リンゴ園の少女』が当時15歳だったひばりの主演によって映画化された際にも、本楽曲が主題歌として使用された。

当時としては戦後最大の売り上げとなる70万枚を売り上げ、最終的には130万枚の売り上げを記録するミリオンセラーとなった。これは美空ひばりの全シングル売り上げの歴代5位となっている。