これは私が昭和32年
今から70年くらい前の話です
今は人権問題が広き行き渡っているので
こんな話はないと思いますが
昔話として読んで頂ければ幸いです。
今から思えば上役のパワハラ天国
入社式の時に
会社の顧問弁護士が
「諸君は入社したばかりで
仕事のことは何にも知らない。
なんにも知らないのに会社は月給を払う。
ありがたいと思いなさい。」
みたいなことを言われて腹が立ったことを覚えています。
海外駐在員も
一応、外地に派遣して
6か月間は試用期間
6カ月で使い物にならなければ内地に送り返す。
ということが社則で決まっていました。
外語大学でスペイン語を専門に勉強した先輩
なんとドイツ駐在員に任命されて
6か月後には「ダメ」の烙印を押されて帰ってきた。
やはりスペイン語を勉強していた
一年後輩
毎朝会社へ一時間早く来て
大きな声でスペイン語の読本を声をあげて読んでいた。
課長に「ぼくは中南米に行かせてくださいね。」
「ダメだ、お前は東南アジアだ。」
彼はやめてしまいました。
私もなんとか海外に行ってみたいものとの希望で
商社に入ったが
入社6年目にようやく「マニラ駐在員」の話が来た。
飛びついて3年勤務。
当時は日比通商条約も結ばれておらず
第二次大戦でフィリピンが激戦地
反日感情が強いなかの駐在
反日暴行に気を付けるよう厳重注意をうけた。
一旦帰国して38歳の時ヒューストン駐在を命じられた
私などはラッキーなキャリアを歩いたほうだ。
私の親友は
最初の駐在地が「コンゴ共和国」
アフリカである。
数年たって帰国
間もなくカラチ(パキスタン)駐在
最後はブラジルのサンパウロ
まぁ良く風土病にならずに済んだものと感心する
エジプト駐在中に熱病で死んだ者
シンガポールからの帰国時に
飛行機が香港付近で墜落死んだ者
私はラッキーだったと思わざるを得ない。








