ゾンビの思い出 | 直芯のブログ

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徒然なるままに、心に移り行くよしなし事を・・・

 これから書くことはかつて誰でも知ってる常識だったが、今の20代はそんな時代の流れなんか知らんとか言いそうなので、ゾンビ映画の経緯を当時の視点から書き留めることにした。
 私が子供の頃は恐怖映画が大流行りで、連日テレビのCMはそんな恐怖映画の予告が流れていた。そんな時代だった。
 当時はホラー映画と言わず、一般的にオカルト映画と言われていたが、そのCMの恐ろしいことと言ったらなかった。『八つ墓村』とか『サスペリア』とか『オーメン』『エクソシスト2』、その他よく分からないB級映画がたくさんあった。『ジョーズ』『ザ・ディープ』『シンドバッド虎の目大冒険』までもが、まるで恐怖映画の如き扱いの演出が為された。本編を観ると大した映画でなくてもCMの演出が怖くてトイレに行けなくなるほどで、どうしても観たくてしょうがないという気持ちを掻き立てられたものだ。でも子供が1人で映画を見に行けるわけもなく、映画館の場所も知らない。入場券は千円だったが、千円という大金は正月のお年玉ぐらいでしかお目にかかれない。大体、子供だけで映画館に入ったら補導される。
 そんなこんなで子供のうちにそれらの映画を観る夢は叶わぬまま大人になったわけだが、それだけ恐怖映画に強い憧れがあると、映画で好きなジャンルを問われたら、中学生の頃なら「オカルト映画とカンフー映画」と即答したものだ。
 子供の頃に『怪奇大全科』という本を購入したが、買った理由は立ち読みして一番怖い本だと思ったからだ。大人になって読み返すと、別に怖い本ではない。他の本と違う特色は、ホラー映画やオカルト映画の実際のシーンをふんだんに写真で紹介していたことだ。その写真を見るだけでなぜか怖かった。
 私が小学校3年生位までは『エクソシスト』に端を発したオカルト映画が大ブームで、日本映画では横溝正史の金田一耕助シリーズがそのブームを後押ししていたと思う。当時の雰囲気は、「志村、後ろ!」で有名な志村けんの幽霊コントにも窺える。
 それが小学校4年生(1979年)になった頃、究極とも言える怖い映画が洋画と邦画それぞれに登場し、その後の恐怖映画の流れを一変させてしまった。洋画では『ゾンビ』であり、邦画では『震える舌』だった。
 勿論、当時は子供だったので、それらの映画を実際に見に行ったわけではない。ではどうして最恐と言えるのかと疑問に思うだろう。『ゾンビ』は前宣伝としてテレビで『女の60分』か何かで紹介されていたのだ。この番組は映画紹介のコーナーが人気で、それが始まると当時の子供達は齧りつくようにテレビを観ていたものだ。そのくらい映画自体がブームだった。『私を愛したスパイ』が取り上げられた時など、車が変形して潜水艦になったり、巨体のジョーズ男が貧相に見える007を捕まえて殺そうとしたり、そんな映画の名場面をこれでもかと言うほどテレビで紹介していたのを思い出す。思えば、ジョーズ男もフランケンシュタインを思わせる恐怖のキャラクターであり、『サスペリア』に登場する下男パブロとキャラが被っていて、当時のオカルト映画ブームから明らかに影響を受けている。
 話は戻るが、『ゾンビ』がテレビで特集された時、もうその世界観が恐ろしくてしょうがなかった。前作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が1969年に制作されていたようだが、カラー作品が当たり前の時代に白黒で作られたせいか、こちらはどうでもいいマイナー映画として話題にもなってなかった。調べてみれば、日本では未公開だったようだ。だから1979年の春まで、ゾンビという種類の恐怖など日本人は知りようもなかったのだ。
 それまでハマー・フィルムのホラー映画と言ったら、「フランケンシュタイン」「ドラキュラ」「狼男」「ミイラ男」が圧倒的なドル箱モンスターだった。これ以外にも多くのモンスターが濫造されたが、中でも「半魚人」は着ぐるみが秀逸で、それが後に東映の『海底大戦争』の元ネタになり、やがて『仮面ライダー』のショッカーの改造人間というアイデアに結実して行く。
 実は昔のハマー・フィルムの映画にも既にゾンビという概念は出ているのだが、当時はジャーナリストのウィリアム・シーブルックがハイチでゾンビについて取材した本を1929年に出版し、その内容を基にしたゾンビ映画が主流だった。ゾンビパウダーという劇薬を使って人を仮死状態にし、埋葬した後で墓から掘り出し、意思のない奴隷として使役する、それがゾンビだった。ジョージ・アンドリュー・ロメロが考えたアイデアは、ゾンビと言うよりはむしろグールと言うべきなのだが、ゾンビという名称をどこで見つけたのか、それが自分のアイデアにピッタリだと考えて採用したのかも知れない。実質的な部分については、1950~60年代にSFのジャンルで世界のトップを走っていた日本映画が、後のあらゆる映画の原点となる様々なアイデアをこの頃に出し尽くしており、その一つとして『マタンゴ』がヒントになったと思われる。
 藤子不二雄の『怪物くん』では「フランケンシュタイン」と「ドラキュラ」と「狼男」が怪物くんの手下として登場し、「ゾンビ」は出て来ない。それまでモンスターと言ったら、どれも単体としてのキャラクター性が強く、ゾンビのように無個性でどんどん増殖して行くタイプのモンスターはなかった。「ドラキュラ」と「狼男」から「感染」というアイデアを抽出し、「フランケンシュタイン」と「ミイラ男」から「死者が蘇る」というアイデアを抽出し、ロメロは見事にドル箱モンスターを統合した上、全く新たなタイプのモンスターを生み出してしまった。
 私が怖かったのは、何と言ってもゾンビというアイデアそのものだった。それまでの恐怖と言ったら、幽霊より恐ろしい悪魔という得体の知れない存在が、人間や置き物や建物にとり憑いて悪さをするというのが基本だった。人間がゾンビなる者に食われ、食われた者もゾンビになり、どんどん増殖して行く。それが集団で襲い掛かって来るという形の恐怖をそれまでの日本人は知らなかったのだ。ハインラインが『人形つかい』で人間に寄生して内側から社会を侵略して行く恐怖を発明したように、ロメロも全く新しいタイプの恐怖を発明した。たかがテレビの前宣伝とは言え、この全く新しい恐怖を当時の私が知った時、10日位はゾンビに追われる悪夢に唸され続けた。さらに大人になるまでの間、何年か置きに度々唸されて来たものだ。夢の内容は映画と同様、ゾンビに追われる夢である。世界が徐々に壊滅して行く中、自分だけは人間として生き延びようと絶望的な逃亡を続ける。『吸血鬼ゴケミドロ』の後味の悪いラストのような、人間社会の崩壊に繋がる絶望的な恐怖と同種の匂いをゾンビからは感じる。『地球最後の男オメガマン』の設定にも通じるイヤ~な絶望感だ。
 思えばこの年、オカルト映画ブームを完全に破壊する画期的なホラー映画が何本も公開された。『エイリアン』は、宇宙という逃げ場のない隔離された空間の中、未知の生命体にいつ襲われるか分からないという恐怖を創造し、こちらも一分野を築いている。最新のSFXを駆使して昔の「狼男」をよりリアルに描くリメイクも流行った。その傑作が『ハウリング』だ。その系譜は後に『スペース・バンパイヤ』に繋がって行く。それと、私は全く評価しないが、『13日の金曜日』がヒットしてジェイソン・シリーズが始まったのもこの頃で、後に『テキサス・チェーンソー』のレザーフェイスや『悪魔の沼』『バーニング』『ハロウィン』のブギーマン、『エルム街の悪夢』のフレディのように、殺人鬼が意味もなく人を殺しまくるジャンルも確立された。さらに人類が滅ぶかも知れないという絶望感を強調した作品として『メテオ』が公開され、日本映画では『復活の日』が公開された。
 日本映画と言えば個人的に強く推したいのが『震える舌』である。この映画はまるで『エクソシスト』のように宣伝されていたが、内容はただの破傷風の闘病を描いた映画だった。ただその描き方が日本映画独特の暗さやシリアスさに満ちており、それが恐ろしかった。私はたまたま他の映画を観た時に『震える舌』の予告を観たのだが、小さな女の子が真っ暗な部屋で口の中いっぱいに血を溜めて苦しみながら唸っており、そんなシーンが何回も出て来て、「あの子は悪魔と一緒に旅立って行った」とか無機質なナレーションが入り、髪の毛が逆立つような恐怖を覚えた。その予告編を観てから1週間は夜中にトイレに行けなくなった。『ゾンビ』を上回る怖さがあり、この映画だけは今でも本当に怖くて観れない。
 この時代、もはや恐怖の要素に悪魔は不要となった。その結果、SFX技術を駆使したSF的要素を加味したホラーが、この年を境に花開いて行くのだ。オカルト映画がホラー映画になった瞬間だ。思えば『ゾンビ』の前年に公開された『サスペリア2』は殺人鬼の映画であり、既に悪魔という要素はなかった。
 『ゾンビ』がヒットした後、ルチオ・フルチの『サンゲリア』というゾンビ映画が公開され、その翌年には『ゾンゲリア』が公開された。それらに続いて程度の低いゾンビ映画が量産されたが、それを観ることになるのはレンタルビデオ屋が普及した80年代後半だった。レンタルビデオという言葉も死語になりつつあるが。
 そんな状況下で大ヒットしたのがサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』で、これ以降、ゾンビ映画のタイトルには頭に「死霊の」が付くのが定番になる。マッドサイエンティスト映画とゾンビ映画が融合した『ZOMBIO/死霊のしたたり』はその典型だ。この辺りからホラー映画に緊張感やシリアスさや本気の怖さがなくなり、段々とコメディ路線やお色気調に変わって行く。
 『死霊のはらわた』は内容よりSFXが評価された感があり、シリーズ化され、3作目になると『キャプテン・スーパーマーケット』というヒーローものになってしまう。これが後に『スパイダーマン』へと続く。
 『死霊のはらわた』をゾンビ映画と言うのかどうかは微妙で、幽霊か悪魔のような霊体が人間にとり憑いて死霊に変え、他の人間を襲うという内容だった。霊体がとり憑くのは『エクソシスト』のようであり、人間を殺しまくるのは『13日の金曜日』のようでもあった。そういう意味では色んな要素が融合した作品だったのかも知れない。
 そんな中、本家本元のジョージ・アンドリュー・ロメロが『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と『ゾンビ』に続く三部作の完結篇として『死霊のえじき』を制作した。ロメロは当時、映画の前宣伝で「これ以上のゾンビ映画は作れない」と豪語していた。こうして後にバイブルとして語り継がれるゾンビ映画の金字塔三部作が確立された。後に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と『ゾンビ』はリメイクされる。
 次なる動きとして、ゾンビとは違うゾンビ・シリーズを創造しようとの試みが始まる。その最初が『バタリアン』のシリーズで、原題は『帰って来たリビング・デッド』である。ゾンビは動きがのろかったことに対し、恐怖を増大させるため、バタリアンは走って人間を追いかけるという設定にされた。さらにゾンビと違い、言葉を喋るし思考もある。その点は吸血鬼と似ている。
 この映画に我慢ならなかったのか、大ヒット作『サスペリア』の監督で、無名のロメロを見出して『ゾンビ』をプロデュースした張本人、オカルト映画の大御所ダリオ・アルジェントが、オリジナルのゾンビ映画『デモンズ』のシリーズを制作した。デモンズもバタリアン同様、走って人間を追いかける設定になっているが、噛みつくだけでなく爪で引っ掻いても感染するという、さらに恐ろしい設定が新たに付け加えられた。
 さらにブームに便乗して香港映画では『霊幻道士』でキョンシーという中国製のゾンビが作られ、これもシリーズ化されている。
 この後しばらくゾンビ映画は作られなくなるが、再びゾンビ・ブームを引き起こすきっかけになったのがゲームの世界である。1996年に『バイオハザード』が大ヒットしたことで2002年に映画化され、1997年のシューティング・ゲーム『ハウス・オブ・ザ・デッド』が2003年に映画化されている。この勢いに乗じて『ゾンビ』が『ドーン・オブ・ザ・デッド』として2004年にリメイクされ、黙っていられなくなったロメロが2005年に『ランド・オブ・ザ・デッド』を作り、現在のゾンビ・ブームに至っている。

 2007年には『ゾンビリアン』というゾンビとエイリアンの両ジャンルをミックスした奇作まで現れ、その後もゾンビ映画はミュージカルと融合したり、恋愛ドラマと融合したり、はたまたアニメになったりで、再び濫造状態に入っている。
 1980年代中頃~後半頃、『マッドマックス2』がきっかけで核戦争後の世界を舞台にした近未来SFというジャンルが流行ったことがあるが、これもゾンビ映画と関係して来る。『北斗の拳』『バトルトラック』はこのジャンルの影響をモロに受けた作品だが、『バイオハザード』もシリーズを重ねるうちに近未来SFの世界観を取り入れ、ゾンビ映画と融合させて行った。逆に『マッドマックス』シリーズの方も『バイオハザード』シリーズの影響があってか、最新作が2015年に27年振りに制作された。近未来SFとゾンビは、共に『オメガマン』から派生した血を分けた兄弟のようなジャンルなのである。