【吉井~たびら平戸口間】 ぶらり北松浦半島鉄道の旅(11月1日・その6) | 鉄りすと

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 吉井(よしい)から山越え区間。
 潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)いのつき高岩(たかいわ)と駅が続く。
 潜竜ヶ滝は、転換前までは潜竜(せんりゅう)と呼ばれていた。
 いのつき、高岩は転換後に開設された駅。

 途中の潜竜ヶ滝までの間では高い築堤を使って谷を跨いで行くのだが、ここでは3本ほどのコンクリート橋が架けられている。
 この区間は戦時中の資材不足のなかで建設されており、なかでも福井川(ふくいがわ)橋梁は鉄筋ではなく”竹筋”が使われていたという説がある。
 これらのコンクリート橋は国の登録有形文化財に指定された。

 いのつきから高岩へ向けての途中。
 潜竜ヶ滝の少し先から高岩の次、江迎鹿町(えむかえ・しかまち)までは延々と下りの急勾配が続く。
 江迎川(えむかえがわ)に沿って谷間を進む間にはこのような田園風景が広がる。
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 江迎鹿町に到着。
 転換前は江迎(えむかえ)と呼ばれ、急行停車駅でもあった。
 古びたホームの上屋の向こうには、白くこぎれいな駅舎が。
 雨はまだ止まず、車窓はこのとおり。
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 前述のとおり江迎と呼ばれていたにも拘らず、行政区画上の江迎町(えむかえちょう)は駅前の深江大橋で渡った江迎川の向こう側であり、駅の所在地は鹿町町(しかまちちょう)にある。
 しかしながら、鹿町町の役場があるところからはかなり遠く離れており、川の向こうに中心部がある江迎町のほうが圧倒的に近いので、駅名がそうなったのだろう。
 鹿町町側には町の名前を名乗る高校もあるので、やはりということで転換時に駅名にも鹿町の名を付加したのだろう。


 ちなみに、この駅のある鹿町町は、佐賀県の大町町(おおまちちょう)と同じく、”町”という字が2つ続く珍しい町名である。
 ついでに、大町町のなかに大町駅がある佐世保線と、この鹿町町内に江迎鹿町駅がある松浦鉄道・西九州線のいずれも、終点が佐世保駅であるということも付け加えておこう。


 江迎鹿町を出てすぐ江迎川を渡る。
 第一江迎川橋梁である。
 左へ曲線を描きながら急勾配で上って行く橋。
 未明からの大雨のために、川の水はかなり濁っていた。
 深い入江の江迎湾が細長いために、見た目でも地図上で見ても、どこまでが川でどこからが湾なのかよく分からないが、だいたいこの橋の辺りが境目なのかも知れない。
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 ここから再び山登りが始まる。

 江迎鹿町の次の駅、すえたちばな
 既に駅は脇の国道から崖を上ったかなりの高台に位置しており、車でこの駅まで上ってくることは出来ない。
 それがゆえに、車内からも江迎湾が一望できる。
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 すえたちばなを出て間もなく、左下の国道が急旋回して、つづら折の山伝いの道となって左手の山間へ消えてしまった。
 山間を進む列車の先頭部分。
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 この先、田代(たしろ)トンネルに入る。
 松浦鉄道としてはもっとも長く、ほぼ直線のトンネルであり、入る手前から向こう側の出口が見える。

 田代トンネルを出た列車の車窓。
 再び、谷間の田園風景のなかを下って行く。
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 西田平(にしたびら)を過ぎてしばらく後、進行方向右手がぱっと開ける。
 やがて大きく右へ旋回して行く。
 途中、進行方向左手には赤い吊り橋の平戸大橋(ひらどおおはし)が見える。
 平戸瀬戸を隔てて、平戸島との間に架けられた橋である。
 踏切をひとつ通った先辺りが、日本の普通鉄道で最も西の地点。

 切通しを主体にして小高い山を抜けきると、駅が見えてきた。
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 たびら平戸口(ひらどぐち)に到着。
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 かつては平戸口と呼ばれていたこの駅は、国鉄時代から有名な日本最西端の駅。
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 この駅で小休止としよう。




2009年11月1日撮影
 松浦鉄道西九州線にて撮影
1枚目:
 いのつき~高岩間
2枚目:
 江迎鹿町駅
3枚目:
 江迎鹿町~すえたちばな間
4枚目:
 すえたちばな駅
5・6枚目:
 すえたちばな~西田平間
7~9枚目:
 たびら平戸口駅