日々雑感 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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 言うまでもないことであるが、人の支配というテクニックにおいて、暴力に頼る支配は、外見的にも粗野で、高コストであり、かつ、支配の持続性、強靭性という点からも、結局は脆いものである。その一方で、人心を操作、制御し、あるいは洗脳し、自発的に従わせるという支配は、最も強靭かつ支配の持続性を保証するだけでなく、外見的にも洗練されており、コスト面においても最良のパフォーマンスを示すと思われる。そんなわけで、特に現代の支配者は、暴力に頼るよりも、社会心理学等の知見に基づき、マスメディア等を駆使することにより、人心の制御を基本とする支配を重視しているように思われる。

 

 「天皇陛下万歳」で全てが片付いた戦前の絶対天皇制と同様に、公的に許容される唯一の答えが「共産党は常に正しい」という、いわゆる全体主義、共産主義社会が、いかに下らなく、馬鹿馬鹿しいものであるかは、敢えて言うまでもない。もちろん、そんな国でも、一般市民は大概賢く、したたかで、体制や権威には面従腹背を行うはずなので、そうした噴飯ものの建前には決して盲従はしていないとは思う。それでも、この閉塞した日本と同様に、息苦しい社会には相違ないのであろう。

 

 話は変わるが、我々はひとり残らず、すべて、女性から生まれる。ということは、この物質世界は、女性が作り出したものである。当然、建前や見た目はどうであれ、実質的にこの世界は、女性が管理、支配している。私はそう思う。ということは、女性に問題が生じれば、この世界に問題が生じる。女性が狂えば、この世界は狂う。男とは異なり、有史以来、狂うことがほとんどなかった女性が、今狂い始めて来ているように思われる。

 

 これに関連するかもしれないが、以前にも書いた記憶があるが、「世のため人のため」というスローガンに、私は素直に賛同することができない。というのも、同胞同士で傷つけ合い殺し合い、それに飽き足らず、動植物を残忍に絶滅させ、さらには地球環境を破壊し尽くそうとしているのは、一体誰なのか?つまり、諸悪の根源は人間そのものであり、それに加担することは、悪に加担することを意味するのでは、と思っているからである。


 もちろん、人間が善(事実)に目覚め、行いを改めるならば、「世のため人のため」に粉骨砕身することは、当たり前のこと、当然のことである。しかし、現状を鑑みると、「世のため人のため」という言句は、私にはあまりに独善的に見える。というのも、人が悪から脱却することは、不可能であるように思えるからである。つまり、もう手遅れである。それならば、後は世間や人のことは放っておいて、世を捨て人を捨て、独り自分の義務に専念するしかないと、私は思っている。