世間知らず | QVOD TIBI HOC ALTERI

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Das ist ein Tagebuch...

 ほとんど興味はないが、たまに日本国内のニュースが目に触れたりする。そうすると、世間、日本社会は、文字通り、汚物の山に思えてしまう。よくもまあ、これほど低レベルで、これほど穢れているのかと、呆れてしまう。あまりに愚かしくて、それ以上、読み進める気も起こらない。そんなに汚れたこと、わざわざやらなくてもいいのに、と思えてしまう。

 

 それで、汚物の山に飛び込んで、汚物まみれになることを、世故に長けるとか世渡り上手と言うらしいが、私から見れば、何のことはない、単に世間に媚び諂って、汚物まみれになってもがいているだけである。自ら進んで汚れなくても、人は生きていける。世間知らずな生き方、要するに、清浄な道を歩むのも、悪くはないと思うのだが、「清濁併せ呑む」などといった乱暴なスローガンが流行るこの国では、全く見向きもされない。

 

 世間知らずの生き方とは、如何なるものか?例をあげると、会社で「バカ野郎」と怒鳴られた。何のことはない、単に、「バカヤロウ」という音が聞こえただけで、痛くも痒くもないと思える生き方。あるいは、王侯貴族の宮殿と見紛うような豪邸と四畳半一間のボロアパート、一台数億円の超高級車と中古の国産軽自動車、その違いは、ただ、そういう外見をしているだけで、居住や移動といった本来の機能に関しては、ほとんど差異がないと思えてしまう生き方。

 

 あるいは、この身心に関して、難行苦行どころか、何の努力も学習も必要なく、完全に見え、聞こえ、香り、味がし、感触があり、そして思える。これ以上のものはない。このままで、完全完璧であり、これ以外、何も望む必要がなく、実際に何も望まない生き方。こうした身心の至上性に比べれば、人の評価や世間の毀誉褒貶など、とるに足らないどころか、全く以て、無意味に思える、そんな生き方。

 

 あるいはまた、国王陛下だろうが、単なるホームレスであろうが、ノーベル物理学賞受賞者であろうが、無学歴者であろうが、結局は、見える、聞こえる、香る、味がする、感触がある、そして思える、この六つの機能以外にはなく、それ以外は妄想の類に過ぎない。その意味で、文字通り、人類は皆平等であると思える生き方。

 

 世間知らずの生き方とは、要するに、世間を超える生き方、出世間的な生き方である。世間とは、本来超えるためにある。その世間に阿り諂うなど、人として生を受けた以上、あってはならないことであると、私は思っている。