無意味 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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Das ist ein Tagebuch...

 一切は、無意味である。事実は、そうである。色、音、香り、味、感触、思い、全てそれ自体は、何の意味も価値もない。つまり、単なる茶色や単なるCの音程には、特別な意味も価値もない。そうした事物に敢えて意味や価値を付与するのは、人の主観的評価である。だから嘘なのである。

 

 一切が無意味ならば、問題が生じることはない。問題が生じるのは、意味あるもの、価値あるもの、あるいは、「私のもの」に、何らかの異変が生じた場合だからである。物の本質は、毀損すること、破損することである。したがって、物に意味や価値を付与しなければ、それが壊れた場合でも問題は生じない。

 

 ものは実在しない。ものとは単なる機能である。したがって、ものは本来所有できない。それにもかかわらず、今日の経済体制下では、ものをなるべく多く所有することを煽られ、そしてものをなるべく多く所有しようとする。騙されているのである。

 

 ものには実体がない以上、所有できない。所有できないから、所有欲が満たされることはない。あるいは、ものを所有した気になれば、当然その維持や管理をしなければならない。ものは実在しない以上、放っておけば、毀損し壊れるからである。

 

 ものの本質は機能である以上、それを利用することがものの本来の目的であり、それを所有することではない。したがって、ものにはあまり関わらないのが賢明である。

 

 上司から、「こんな事もできないのか!」と言われると、返す言葉もなく、無能な自分を責めた。あまりに自虐的であった。そう言われたら、「そうなんです、無能ですから」とでも返答すべきであった。無能だろうが馬鹿だろうが何と言われようが、私は私で、何の変わりも問題もない。そんな音(言葉)に影響を受ける必要は、全くない。

 

 できる限りのことをしたら、それで責任を果たしたのである。それを評価するのは他人の仕事で、自分には関係がないことである。世間のことは何事も、大げさに考える必要はない。所詮、塵芥の世界である。

 

 そもそも、やってしまったことは、やり直すことができない。何事も一回限りで、繰り返すことができない。同じことは、二度と起きない。覆水盆に返らず。したがって、後悔しても仕方がない。それは無意味なのである。