国防 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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 国防とは、一体何か?国を守るとは、一体どういうことなのか?よく考えるべきである。国とは、単なる観念であり、実在はしない。非実在のものを守ることなど、できはしない。それどころか、誰から守るのか?「敵国」も、やはり単なる観念であり、実在しないばかりか、誰が真の敵なのか、実に不明瞭なのである。

 「国防」とは、建前上は外敵から国土と国民の生命・財産を守ることである。しかし、事実は全く異なっている。というのも、歴史を振り返れば、上の文中の「国民」とは単に少数の支配者を意味し、一般国民を意味するものではないことは、明らかなのである。

 つまり、現代的意味での「国を守る」ということは、外敵から大多数の国民の生命・財産を守るということではなく、支配者の利益を増進させるために、支配者が惹起した大量殺人行為(=戦争)に、一般国民が、その生命・財産を捧げるように強制されることであり、戦争が失敗する場合には、多くの場合、これまた一般国民のみが損害を被ることなのである。

 戦時中、一般国民が窮乏させられる一方で、軍需産業や銀行等が莫大な利益を得たことから分かるように、支配層は、戦争が成功しても失敗しても、多くの場合、利得を得るようになっている。戦争とは、多くの大企業にとって、国民の血を代償とした、美味しいビジネスなのである。これが現実の「国防」であり、換言すれば、現代の戦争なのである。私はそう思う。

 国防と良く似た概念が、「警察」である。警察は、我々市民を守るのではない。そうではなくて、既存秩序を守る組織である。秩序とは、為政者・既得権益者の利益を極大化するように意匠されている現体制のことである。それは我々一般市民の利害と常に一致するとは限らない。ということは、警察という組織が、常に我々市民の見方とは言い切れないことを意味する。

 もちろん、軍にしろ、警察にしろ、その職務は基本的に他の仕事に比べて厳正で、私の個人的経験から言っても、軍人にしろ、警察官にしろ、個々のレベルでは高潔かつ立派な人物がいないわけではない。しかし、やはり仏道を歩むならば、自他ともに殺傷する可能性の高いこれらの職務につくことは忌避すべきだろうし、そういう人々との接触は、なるべく避けたほうが良いのだろう。

 いずれにせよ、財産・地位などほとんど持っていない大多数の人々にとって、守るべきは、自分や家族の生命である。戦争は、それを直接脅かすものである。国防とは、すなわち戦争に他ならない。だから本当の意味での国防とは、戦争を阻止し、いかなる戦争にも反対することである。国を守るという虚言に騙されてはいけない。大多数の国民にとって本当の敵は、多くの場合、北朝鮮や中国といった仮想敵国なのではなく、搾取し戦争に駆り立てる、自国の支配者なのである。