仏教と政治 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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„Was du dir wünschst, das tu dem andern“.

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 「政は正なり」。政治とは正義である。私が好きな論語の言葉であるが、不正と腐敗にまみれたこの世界の政治の現実を鑑みた場合、これほど空しく響く言葉もない。さて、最近テーラワーダのスマナサーラ長老の法話を拝聴している。人は、色々なことを学び、いろいろな知識を身につける。その目的は、「本物(真実)」が欲しいからである。しかし、所詮学んだものは、すべて自分にとって単なる借り物であり、偽ものであり、あまり価値はない。それを気づかせてくれたのが、この方である。

 彼の説くところは、まさに正論である。しかし、それが現実化する可能性は、この国、あるいはこの世界では、0%である。つまり、絶対に実現しない理念型、空論である。政治が正義であったことなど、この地球上では過去にはなかったし、現在もないし、将来もないであろう。政治は人が行うものである、凡夫が行う政治は、当然、貪瞋痴にまみれた政治である。あるいは、政治はその国の国民を映す鏡である。国民が崇高で立派ならば、政治も崇高で立派なのである。国民が低劣で堕落しているならば、政治も低劣で堕落しているはずである。

 いずれにせよ、今日は、この世界が、釈尊の願われた通りの幸福な社会になることを祈りつつ、スマナサーラ長老のある法話をもとに、仏教の政治論について、少しまとめてみたい。願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道。

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①Leadership
 

 仏教では、縁起(因果法則)が真理であると説くので、絶対神の概念は、愚か者の妄想概念として一蹴している(なぜならば、唯一神といった永遠不変の存在は、無常である現実からすれば、ありえないからである)。神であろうが、人間であろうが、他の生命であろうが、皆、本来平等なのである。全ての生命に平等に生きる権利がある。生きる権利は、憲法にも勝るものなのである。他者が生きることを助けてあげれば、自分も助けられる。全ての存在は、等しく因縁によって成り立つので、違いはあるが、差別は(本来は)不可能である。
 

 西洋型の政治思想は、(唯一神の存在を前提とした)絶対服従の関係を基に成り立っている(だから、誤っている)。支配・被支配の二分化は、宇宙の摂理から不自然である(なぜならば、すべての生命は、平等であるからである)。生命のこころは本質的に自由を求めているので、支配者は常に(被支配者からの)攻撃に備えなくてはならない(なぜならば、支配・管理は、理法に反しているからである)。これが現代社会の最大の問題でもある。

②民主主義の誤魔化し
 

 Democracyは人気のある言葉であるが、現実的にはこの世では存在し得ない政治制度である。現実(の民主主義と)は、(欲に目が眩んだ)一部の人々の間で起こる醜い権力争いであり、戦いの世界である。一方、庶民は、(主権者ではなく、)昔も今も管理され操られている存在である。

③リーダーはありえない
 

 生命は平等なので、本来ならばリーダーなど成り立たない。自分のことは、自分でやる、というのが原則である(自治)。何でも管理したがる、支配したがる、他に命令したがるこころは、病気である。この精神病が末期になると、(スターリンやヒトラーなどのような)独裁者になって、庶民を虐める。精神病の人に支配されて、幸福になれるはずがない(だから人類の歴史は、悲惨なのである)。

④誰が政治を行うのか?
 

 人間の能力は様々である。皆のことを心配して幸福になるよう導く能力のある人は、人々のリーダーとして仕事をすべきである。なるべくして適性ある人が自然にリーダーになる。釈尊が理想とする政治家は、国民に対して「親」の気持ちを抱いている人物である。例えば、国会議員は、父親的存在=家族のことを心配するように、国民ひとりひとりを自らの子供のように思うことの出来る人が理想である。
 

 釈尊は、いわゆる王権神授説を完全に否定している。(戦前の天皇=現人神崇拝や、北朝鮮の指導者崇拝が滑稽であるように)王・権力者を神の化身として崇拝し絶対化するのは、おかしな話である。親は子供を支配するものではない。親は家族を心配して守り、幸せに導いているからである(だから、国王のために国民が財産や命を犠牲にするのは、本末転倒で、間違っている)。

⑤判断力
 

 人間も社会も、常に何かの問題を抱えている。その状況を把握して、瞬時に、皆のために最善の判断ができるなら、それがリーダーとしての智慧である。リーダーに判断ミスがあってはならない(したがって、「想定外」を連呼し判断ミスを繰り返す者は、リーダー失格である)。
 

 リーダーにとって、情報を知ること、知識を得ることは基本的なことだが、それは知識人や専門家などのアドバイスを受けることで済む。しかし知識人・専門家はある角度でしか物事が見えない。リーダーは全ての意見まとめて最善の判断をしなければならない。
 

 仏教は判断について厳格である。人生は、全て判断によって左右されるからである。長部「梵網経」の64見はこの世に現れ得る判断ミスを網羅している。インドの修行者たちは判断の間違いで真理を発見できなかった。釈尊が、解脱に成功したのは、客観的に正しい判断に達する能力があったからである。

⑥判断を妨げる4つの原因
 

1 Chanda(個人の好み)
 人には個人として色々な好みがある。特に人は自分の思考に強烈に執着する。判断を自分の好みに合わせると、自分勝手な主観的なものになってしまい、他者(国民)のためにならない。
 

2 Dosa(怒り)
 世界の政治家は、よく怒りで判断しているように見える。怒りの感情があると、状況を具体的に把握することできない。その判断は必ず誰かを不幸にする。(例)米国などは、イランに核を作るなと言う。イランは、(自国の安全保障上)反発する。そこで経済制裁をすると、結果としてイランに核を作らせることになってしまう。核保有国の態度に問題がある。
 

3 bhaya(怯え)
 怯えて、恐怖感に覆われて行う判断は、絶対に間違いである。怯えは色々であるが、怯えで判断する時は、多数の幸福より自分の身の安全が優先されるからである。
 

4 moha(無知)
 情報を知らない・理解できない・分析できない・先が読めない・閃きがない・疲れてる・他人の言う事がうるさいと感じられる・大したことではない・一か八かやってみないと分からない、などの感情で判断すること。仏教では五分五分の判断は反対する。それは勇気ではなく、無知である(だから、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで開戦を決断した某国の首相は、無知であり、指導者として相応しくなかったことになる)。真のリーダーはの四つの原因を止める。幸福になりたければ、一人一人が以上の四つに気をつけること。

⑦判断の仕方
 

1 問題に集中して原因を見出す。
2 達すべきvision,object,purpose,targetを考える(日本では、いまこの国をどうするかというビジョンがない→日本のことを心配する真の政治家がいないから)。
3 自分の事も他人の事も一時的に忘れる。
4 メリットは最大で、デメリットは最小であるように、客観的に判断する。
5 物事を如実にありのままに見る。

⑧(敵・ライバルから)身を守る。
 

 リーダーにはライバルがつきものである。リーダーになる事は、ライバルを作る事でもある。より良いリーダーに成長すると更に巧妙な攻撃を受ける。人々は相手の欠点を見抜くメガネしか持ってない。
 

 攻撃に攻撃で返すことは仏教的ではない。負けることも認めない。個人が罪のない、間違いない、法律に触れない、疑わしくない生き方をする。子供のときから道徳を守ることは自分の身を守ることになる。堂々と生きられる。道徳を重んじて生きる。道徳的な人間に攻撃をかけることは無理である。ばれたらマズイものがあってはならない。

⑨motivation
 

 「皆の幸福のために、良いことに挑戦してみたい」。これがリーダーにとっての唯一のモチベーションである。それで進むべき道が見えてくる。一切の生命の幸福を願うことが、最善なのである。リーダーはその願いをいくらか実行しようとする。自分の利益、権力、人気など考えるならば、リーダーの資格はない。
 

 仏教の政治論では、政治家の生き方は、自利よりも利他を優先にする、菩薩の道と同じである。人のリーダー的な存在になる事は在家の修行の道なのである。道が正しければ政治活動は最高の修行であり、大きな徳を積める。権力に酔う、贅沢に溺れる生き方ではなく、かなり大変な(修行の)道なのである。
 

⑩優先する意見は…
 

 理性ある人、慈しみある人、客観的で実行できるビジョン持っている人、賢者の意見を優先する。大衆がすべて知っているわけではない(多数決が絶対であるわけがない)。

⑪民主主義国家が衰退しない決まりは七つ教えられている(七不衰退法)。
 

1 よく会議をおこなう。勝手なことせず何でもよく話しあって決める。
2 いつでも和合して行動する。
3 昔からある大事なルールを守る。
4 賢者・先輩を敬いアドバイスを聞く。
5 女性を守って、女性の意見を大事にする。人間を育てるのは、政治家ではなく、女である。
6 人々の信仰・聖地・習慣などを大事にする(信仰の自由と適切な協力)。祭りへの参加は政治家の義務である。国民の鼓動を感じること。
7 心が清らかで煩悩を無くして智慧を完成している修行者たちを尊敬しアドバイス受ける。仏教は信仰型宗教に反対する。智慧を完成した聖者の言葉は皆に幸福をもたらす。だから、釈尊の教えに耳を傾けた方がいい。

⑫保守主義の弊害
 

 怠惰な人間は保守主義を好む。特に権力者、資産家は現状維持を好む(なぜならば、すでに持っているものを守りたいからである)。(既得権益・秩序の維持でしか過ぎない)現代保守主義は、国民をバカにしているのである。もちろん、時代の流れに揺らがない、普遍的で、皆の幸福と平和をもたらすものは守るべきである。しかし、社会は常に前進しなくてはならない。成長(変化)にストップはないのである。
 

 この世で停止しているものは何もない。全ては常に、絶えず、変化して流れて行く。昨日と今日は同じではない。手を加えても、加えなくても、全ては変わってしまう。変化するものに逆らうと、かえって抵抗が激しくなって結局は破壊される。だから、保守主義は、基本的に愚かな考え方である。
 

 変わるものは、「変える」ことも出来る。勝手に変わったら困るので、人間の、全ての生命の幸福になるように、社会、生き方、経済活動、政治制度などを調整しなくてはならない。変化する環境に適応するのは庶民である。より良い方向へ変えるのはリーダーである。

⑬幸福とは?
 

 経済的豊さだけが幸福ではない。ものがあり溢れると、かえって息苦しい。こころの安らぎを目指すべきである。金銭と関係がなく、微笑んでいられること、互いに思いやりがあって、互いのことを慈しんで、皆、仲良く、平和で、穏やかに活きることが幸福なのである。
 

 世界は「火の車」である。儲けることしか考えてない。利益を上げることが最高の目的で、人間の生活は二の次である。欲、怒り、憎しみ、傲慢などの感情が世界を支配している。全て、物質優先であるが、現実には生活環境を破壊している。このように、世界は矛盾だらけ、愚かさだらけである。
 

 金銭でも、物質でもなく、こころにあるもの。こころの安らぎを持って生きられることが幸福である。(スマナサーラ長老の法話『社会の破滅を止めるブッダの智慧~お釈迦さまのリーダーへの教えに学ぶ~』より)