あけまして おめでとうございます | 笑顔がいちばんっ!!

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毎日泣きたくなっちゃう事もいっぱいあるけど

やっぱり笑っていたいよね。

そんな日常を綴った日記です。

~愚痴のゴミ箱とも言います~

今年もよろしくお願い致します。


と、今更ですが挨拶してみます。


ブログを書くのも大分間があいてしまいました。


どうしても書く気持ちになれなかったし

日課のブログめぐりも出来なかった。


やっとひと段落して少しずつ気持ちも落ち着いてきたので

久しぶりにブログを書いてみようと思います。



新年初めてのブログが少し暗いものになってしまうかもしれませんが

そこはごめんなさい。


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実は昨年の11月、母に癌が見つかりました。病名は「子宮頚がん」です。


数か月前より不正出血があったようです。それでも母は病院に行かなかった。


私には何も言わなかった。もしかしたら言われたのかもしれないけど

私があまり真剣に聞いていなかったのかもしれない。


娘がその話を聞いたときに、「癌の可能性があるから早くに医者に行くように」と言ってくれたそうです。


さすがの母も気になり、近所の産婦人科へがん検診に行きました。

すると、出血が止まらないからこのまま大きい病院に行くように言われたそうです。


その日の午後紹介された病院へ行くと、出血を止めるための処置をされ

翌日にもう一度受診するように言われました。


その日の夜、どうしても施された処置が痛くて自分の判断でそれを取ってしまい

その後出血がないため受診をやめてしまいました。


それから少したって、病院の先生より電話があったそうです。

「話しがあるから一度来てほしい」と。


私がその話しを聞いたのは11月の末。

たまたま週末に実家に娘と遊びに行っていた時でした。


それも母は、「今度の火曜日に病院に行くことになったんだ。先生から電話があって」と

詳しい事は正直に話さなかったし、一緒に来てほしいとも言わなかった。


家に帰りおかしいと感じた私はすぐに火曜日に休みをとり、母に一緒に病院へ行くことを告げた。


そして当日。若い女医さんに「子宮けい癌です。しかももう結構進行しています。詳しい検査をした結果で癌センターを紹介するか決めます」と言われた。


すごくショックだった。もちろん母はもっとショックだったと思う。

覚悟はしていたと思うけど、やっぱり告知は辛いものだっただろう。

その後の話はほとんど頭が真っ白になり聞こえていなかったようです。


その日は実家で2人で夕食を食べた。

病気の事にはあまり触れないようにした。


それから10日ほどがたち、全ての検査が終わり、また医師からの説明があった。


「病名は子宮けい癌で細胞の種類は扁平上皮がんです。ステージは3期になります。

もう手術は適応ではないため、治療は放射線と抗がん剤が中心となります。

こちらでは特殊な放射線治療は出来ないので、癌センターに行ってください」との事だった。


次の日に紹介状をもらい、癌センターの予約を取るために電話をかけると年内はいっぱいとのことで

やっと1月4日に予約を取ることができた。

それが12/13のこと。3週間も待たされるのかと少し不安に思った。


それからの日々は一人暮らしの母を気遣い、出来るだけ実家を訪ねた。

近くに住む母の姉妹たちにも病気の事を話した。

みんなマメに電話を入れてくれたり、訪ねてくれたりした。


私の前では気丈に振舞っていたが、心情はかなり動揺していたと思う。

なかなか病気の事が受け入れられないでいて

考えないようにしているようだった。


年が明けて癌センターの初めての受診。

先生は少し年配の優しそうな方だった。

持参した資料をみて、先生の見解は前医と同様のものだった。

一通り診察を終えた後、先生は母の手を握り、「これから一緒に頑張りましょう」と言ってくれた。

この先生にすべてお任せしようと思った。


先日放射線科の受診があった。

母の癌は骨盤内で大きく成長していても遠隔転移はしていなかった。

放射線科の先生が治療の説明をしてくれ、「この治療で完治をめざします」と言ってくれた。

とても嬉しい言葉だった。


そして治療の開始日が決まった。

約2カ月の入院予定。

後は母に頑張ってもらうだけ。


最近の母は、少しずつ病気の事を受け入れて

前向きな言葉が出るようになってきた。


先日、娘と母と3人で旅行に行ってきた。

次は北海道に美味しいもの食べに行こうねと話した。


本当は母がいなくなってしまったらと考えるだけでも

不安で不安で涙がでてしまいます。


母はとても苦労した人。

私はまだまだ親孝行など出来ていません。

娘が大学を卒業したら、今までの恩返しをしなくてはいけません。

だからここで負けるわけにはいかないのです。

もっともっと元気でいてもらわないといけないのです。


長い戦いになると思います。

私は全面的に母をバックアップし完治を目指します。


入院まであと少し。

これからも一喜一憂することもあるかもしれません。

それでもしっかりと母を支えていきたいと思います。


時々はここで愚痴を吐きだすかもしれません。


それでも私は頑張ります。



長々と書いてしまいました。

読んで頂いた方、ありがとうございました。