■大学に入って自分の所属する建築学科について感じたこと


・建築には、「デザイン」「構造」「環境(機能)」の3要素がある。

一般に、「建築学科」あるいは「建築家」というと、

「建築」=“空間デザイン”というイメージが強いと思います。


実際、京都大学工学部建築学科に入ってくる人は、

単に勉学ができるというだけではなく、

全体の1/3~1/2くらいは・・・

創造性・クリーエーター志向のある

いわゆる美術系・アート系のDNAの入っている人々が

所属しているところ、といっても良いのではないでしょうか?


工学部といっても、女子率も高かったように思えますし、

少し異彩を放っているかな?と当時は思いました。


しかし、建築学科の専攻コース(4年生になったときに割り振られる)には、

「デザイン」「構造」「環境(機能)」の3コースがありました。


「構造」は、構造力学という物理系のプロフェッショナルとして

耐震構造や強度を高めるための研究などを行うコース(学問分野)です。


「環境(機能)」というのは、

建築空間内における“音”の反響や空間の広がりが住まう人の身体面/心理面にどのような作用をもたらすか?

などの研究を行うコース(学問分野)だったように当時は捉えていました。


私が学生の時は、最後の「環境(機能)」のコースに進もうかなぁ~と考えていました。


というのも、「構造」は物理的に様々な成形条件のコンクリートの塊を実際に圧力をかけて破壊することで

どのような形成条件がコンクリート強度を高めるか?という実験をしたり、あるいはコンピューター上で

様々なパラメーターをイジッて“コンピューターの上で実験をする”というイメージしかなく、魅力を感じませんでした。


しかし、それ以上に“幻滅”・・・というか、1年生の時から“終わってるな”と誰にも言えずに密かに感じていたのが…

「デザイン」の専攻コースでした。


・T教授率いるデザインコース~~~それは、今振り返れば…小さな「新興宗教」?!

私が在学していた20年前の京都大学工学部建築学科のデザイン専攻コースは、T教授がトップというか…牛耳っていました。


T教授の作品群は、いわゆる近代主義的な『建築』・・・

鉄とコンクリートとガラスで・・・シンプルに、かつ(彼の視点/魂のレベルから見て)美しく・・・

建築空間を構成していく、というタイプのものだったと記憶しています。


元々、T教授を慕って京都大学建築学科の門を叩いたわけではありません。

それどころか、私には・・・

時代の先の先を行く建築家~~~足立育朗さんという尊敬すべき建築家が既にいました。


一般的には、足立育朗さんはベストセラー「波動の法則」の著者として

いわゆる不思議系~スピリチュアル系の科学者/形態波動テクノロジー研究所・所長という

社会的イメージが強いですが、本来の職業は…樹生建築研究所・所長・・・つまり「建築家」です。


建築家として働く中で、

モノを創造する―――クリエーションとは何か?

ということについて

~~~頭の中だけで考える“思想”や“哲学”としてではなく~~~

人生を賭して・・・職業柄から考え、

妹でファインアート(抽象画?)のアーティストだった足立幸子さんと


建築にしろ、アートにしろ、

それを創造する―――ということの元になっているのは“インスピレーション”ではないか?


“インスピレーション”とは、

脳が周波数変換をして・・・通常とは異なる、

よりリラックスした状態=周波数が高く、精妙な状態になったときに

受振する情報ではないか?


という気づきであり、発見が

足立兄妹の人類的な業績の一端であるということが出来ると思います。


ちなみに、足立育朗氏の建築家としてのオリジナリティは、

「楕円建築」(Oval Architecture)という言葉で表現できると思います。


建築というと99%は、直線で表され・・・敷地面積いっぱいに縁どられた建築図面に

いかに建て主の要望を叶える形で、内部を仕切って・・・住んだ後の動線や空間の目的や機能などを勘案して

効率的で魅力的な「間取り」を生み出すか?ということに重きが行われています。


いわゆるZOZOの前田さんやメジャーリーグの大谷選手が住むようなレベルの豪邸であれば、

広い敷地の中に“いかにデザイン性の高い=魅力的な”邸宅を生み出すか?

という建物の創造者(Creator/英語圏では“創造主=神”という意味も)としての本領を発揮できる

対象になりますが・・・


いわゆる職業「建築家」~~~一級建築士という仕事~~~の90%は、

建築基準法の範囲内でどれだけ家主の要望を満たす間取りの家を建てられるか?

というのが現実なのではないかなぁ?と思います。


コンペ=コンペティション(≒公募?/英語のCompetetion=競争)を通して

個性ある作品を公募して、その中から1位を取った作品を現実の建物のデザインとして採用する―――

というパブリックな建築作品もあります。


本来の「建築」のイメージ=「デザイン」は、建築の“醍醐味”といえる分野(専攻コース)なのに、

私には全く魅力的なトコロではありませんでした。


それは、なぜか?

建築学科デザイン専攻コースを取り仕切っていた「T教授」が

いわゆる“芸術家タイプ”だったからです。


芸術家というのは、良くも悪くも「自分が一番」という意識があるものです。

そうでなければ、世の中に「オンリーワン(独自性)」のある魅力的な作品を生み出すことができません。


しかし、教育現場においては・・・

さまざまなタイプの芸術家=建築家がいるのだ!ということを教える、ということがまず第一にあるべきではないか?

と41歳の自分なら断言することが出来ます。


ところが、20年前の京都大学工学部建築学科では、

T教授の表現手法~その背景にある精神や哲学こそが、「最先端」「一番」「最高」という

(それ以上に素晴らしいと感じる建築家が既にいた大学生の僕にとっては)異様な空気に支配されていました。


しかも、他の学生は誰もそのことに疑問を持つことすらありません。

まるで、教祖の説く論理に全く疑問の「ギ」も感じてはならない、新興宗教?!

羊飼いに飼いならされた従順な羊たち・・・

全体主義の体制下にある国家とそのことを批判できない哀れな国民たち・・・

そんな印象を持つ私は、大多数の群れから外れた迷える子羊、体制に疑問を持っていた非国民、神の教えに背く異端者だったのでしょう。


他の京都大学の教授も

「重文(重要文化財)」レベルの建築はそれなりの魅力があるから、よく勉強して(実物を見たり、その特徴を調べたり)おくように!

とか

「“ガウディの建築が良い”という人が多いけど、現代の工業社会では・・・ガウディのように前近代的な“アナログ”で“手作り”(直線や円ではなく、フリーの曲線)で構成する建築空間というのは、現実的ではない。憧れてはダメだ!」

といった発言しか、記憶していません。


同じ建築学科の学生同士でも、

「どの建築家が好きか?」とか、

「どの建築作品が好きか?」といったことを話した記憶がありません。


建築学科の学生は、

設計演習という専攻科目で

画板や画材(製図用具)のあるデザイン室に籠もって

締め切りまでに提出する「作品」を仕上げる・・・

という経験をします。


私は、住んでいた家が大学から遠い二条城駅近くのマンションであっただけでなく、

高校生の頃に母に「製図用具」を買ってもらったため、

ほとんどの学生が利用する・・・デザイン室に行く必要がなかったため、

他の学生とあまり交流がなかった・・・

ということも3年の後期から休学してしまった遠因になったかなぁ~と自らの過去を回顧しています。

近因は、3回生の前期の「構造力学」の必須単位を落としてしまったことだが・・・


※現代では、パソコンのCADという建築系のソフトで図面を引くのが常識ですが、

当時(2000年代前半)は、アナログからデジタルへ移行する過渡期でしたから、

製図用具で図面を引く学生がほとんどでした。

2回生後期の設計演習では、自分は完全にCADで設計し、大型の紙に印刷する京都市内の専門店にデータを送って

課題を提出したのを記憶しています。



T教授は、自分の作品がいくつも形となっている“いわゆる成功した建築家”だったかもしれません。

その裏で学生たちの間では、大手ゼネコンとのコネがある!といった黒い噂もありました。

なにより、実際に自分の目で直接、その姿や振る舞い、発言を見て、味わった・・・

一(いち)学生としてー――“エゴ”(自我)の強い人間だなぁ~というネガティブな印象を持っていました。


30代になってから、

隈研吾さん(国立競技場のデザインで一躍有名に…)や妹島和世さん(女性建築家として世界的に有名?)などの建築家を特集したテレビ番組を通して

その建築作品やその背後にある哲学などに触れる機会がありましたが、

なにより建築に対する情熱や思い・・・

それ以上に、インタビュ―などに答える際の“物腰の柔らかさ”“人間としての振る舞い/品の良さ(温かみ)”が

「建築家」としてー――というよりも「いち人間」として・・・魅力を感じます。


(それに比べると、T教授は・・・まぁ、言うまでもありません。
 人には、それぞれ役割がありますし、その立場にあった“器”というものがありますからね。)


やはり、単純に人間として・・・人物として・・・

魅力を感じるか?尊敬や憧れの念を抱かせる存在か?

ということが、親子の家庭教育でも・・・学校や大学などの教育現場でも・・・

最も重要なカギになるような気がします。

(悪い面は反面教師として“学ぶ”/少なくある良い面は“吸収する/真似る”という選択肢しかありませんね。)


■テレビで「早稲田大学建築学科」や「伊野尾慧くん」(明治大学建築学科卒)を通して知った“建築”の素晴らしさ・魅力

デザインの授業/講義である「造形実習」「設計演習」にて

1回生の時に、T教授が尊敬する(=自分と同じ系統の)海外の建築作品を図面と模型で表現するような課題が出ます。
(既にある建築あるいは芸術作品を真似ることを“習作”と言います。)

2回生の時に、実際に現地に行って見て写真なども取らせていただいた(京都の)「町家」を模型と図面で表現するような課題が出ます。

そして、同時に「自分なら、この町家をどう改築・リフォームして…新しく生まれ変わらせるか?」という“町家再生プラン”という課題が出ました。

思い出に残っているのは、自分は「1階はカフェなどの店舗スペースとして、2階は通常は1階の延長線上であるカフェスペースだが、週に2~3回は…絵画教室や音楽セッションを楽しんだり、小さなセミナーを開けるような多目的なスペースとして活用する」という案を出しました。

「特に2階は、椅子やテーブルなどを工夫することで、機能的に“多目的スペース”として活用することが可能なんだ!」ということを周囲にいる学生さんに熱く語っていたのを覚えています。

話していて、自分は“建築家”というより、“経営者”に向いているのかなぁ?・・・と思いました。

建築家のアイデア?というより、不動産物件を如何に社会の中で活用していくか?という経営や不動産活用の視点を持っていた学生でしたね。

話をチラッと聞いていた教授は、「そんなにうまくいくもんかなぁ?」といった薄い意見しか返ってきませんでしたが、

なにしろ高校生の頃から「経営の神様・㈱船井総合研究所 船井幸雄」氏の本を片っ端から読みまくっていたペン剣学園卒の京大生です。

自分の中では、カフェスペースとしても、多目的スペースとしても、二刀流で活用できる具体的なイメージというか、ヴィジョンというか、映像が頭の中にありました。

2回生の後期は、夏場の川床などで知られる京都の鴨川の現地に行って

「大きな石」(10m×5mくらいのサイズ)のあるところで

この石を撤去して、ここに建築物を作るとしたらどんなデザインの施設を建てるか?

という自由で柔軟性に富んだデザイン設計の課題でした。


私は、足立育朗氏の気づきを得た後、最初に設計した逗子市内にある「ヒーリングヒル逗子yoyo」という

建物を見(初めは、ベストセラー「波動の法則」の巻頭資料にある写真や建築模型を通して・・・高校3年生の時には、実物を2~3回ほど・・・

1回は実際に宿泊もした!)、味わい、体験する・・・という経験がベースにあるので、

そのyoyoを真似た楕円や円を基調とする、「鴨川沿いの気楽に立ち寄れる美術館」というプログラムの建物をデザインしました。

今思えば、20年も前に・・・建築学科の一学生として、随分ユニークで大胆かつ先進的なデザインの設計をしたなぁ・・・と自画自賛してしまいました。


しかし、最終日の課題提出の日にデザイン室に入り、他の学生の作品を見ると、みんな似たようなデザイン/設計のモノばかりだったように思います。


テレビ番組で、早稲田大学の建築学科の授業や同じような設計の課題でさまざまな多様性に富んだデザイン/設計の図面や模型を提出して、教授が選んだランキングを発表する・・・という風景を覗く機会を得たことがあります。

みな個性的で独創性に優れたデザイン/設計で・・・これぞ!建築学科の学生生活の醍醐味じゃないか!!と羨ましく思いました。

中には、自分が何位になろうが、関心のない=ランキング発表の現場に出席しない、学生もいて・・・

あぁ、自分と似たような変わった学生はどこにでもいるんだなぁ~と思いました。



NHKや民放などで建築や解体現場などの取材や解説をする現役アイドルの伊野尾慧くんの明治大学建築学科時代の作品を

YouTubeか何かで見ました。

とても個性的で独創的な作品だなぁ~イカしたデザインだなぁ♪と思ったのを覚えています。


悲しいことに、20年前の京都大学工学部建築学科在学中に他の学生さんの作品で

このような経験をすることはできませんでした。



それは何故か?―――

1回生の時に「このような建築スタイルこそが、“美しい”/“素晴らしい”」という

思想教育?というより、一種の“洗脳”をされたからだ!と

41歳の自分は思います。



だから、画一的で同じような発想の設計デザインしか生まれて来ないのです。

将来は、“創造的=クリエイティブな”仕事をしたい!と夢見て入った、大学で・・・

目の当たりにしたのは、いかに“非創造的な”=“画一的な”建築家を生み出す

建築学科の惨憺たる・・・凄惨な現実でした。


風邪か何かに罹患して京大の試験に落ち、

後期の東大理Ⅰの試験も落ちていたら・・・
(実は、京大の入学手続きを終えて、割り印を押された試験票の半分を隠して、
 東大理Ⅰの後期試験を“モグリ”で受験しに行った経験があります。
 前期で他の国立大学に合格しているのに、東大後期の試験を受ける人は普通はいません。
 けれども、東大後期の試験ってナンボのもんじゃい!という道場破りのような精神で
 受験しました。選択科目は、英語・数学・物理で…数学と物理も英語で出題されていたような記憶があります。
 自分自身の体感としては、京都大学工学部建築学科の前期よりも簡単、早稲田大学建築学科と同じくらいの難しさだったかなぁ~
 というか自分自身と馬が合った問題が出題されていて、一番自信のある試験だった・・・というのが当時の正直な感想です。)

早稲田大学建築学科に行く意思もありましたし、

入学手付金の30万円…かな?も祖母に払ってもらって居ました。

(京都大学工学部建築学科の前期の試験を受けて
 合格する確率は体感で70%くらいかなぁ~
 多分大丈夫だと思うけど、もしかしたら不合格という可能性もなくはないなぁ~
 そうしたら、京大・東大じゃなくでも、早稲田で現役で学生として建築を学びたい!と思っていました。)


まぁ、人生に・・・歴史に・・・
「If」(もしもこうだったら~)
というのは、ありえないのですけれども・・・


■「思想汚染」=スピリチュアル・ポリューション(霊的汚染)は、人が侵しうる最大の「罪」?!


美輪明宏氏は、戦前~戦中~戦後を生きた(令和の今となっては)数少ない文化人として

戦前~戦中の日本に蔓延(ハビコ)った“軍国主義”に対して、

大正時代の大らかで豊かなロマンティシズムに満ちた文化(大正デモクラシー・・・など)と対比して

率直に「嫌悪感」を示し、思想的にも反対するいわゆる“リベラル”な考え方の持ち主のようです。


私は、尊敬する船井幸雄氏の共著から、保守系の言論人である渡部昇一氏を知りましたし、

当時は竹村健一氏などの著作が図書館に置いてある、そういう時代でした。

いわゆる保守的な(右か左かでいうと、右寄りの)考え方を持っています。


“右=戦前回帰・軍国主義に愛着がある”というのは、いわゆる左寄りの方々の「イメージ戦略かなぁ」と思います。

個人的には、軍国主義には美輪氏と同様、嫌悪感がありますが、

なぜ、当時の日本人が軍国主義に傾倒するに至ったか?という政治的(内政~外交)要因~メディア(新聞・ラジオ)などの責任、

などを分析し、文字通り“歴史に学ぶ”ということが大切である・・・と考えています。


そういう中身のある考えを持っている人々=保守系の書籍や発信を行っている人々

(林千勝氏や藤井厳喜氏、丸谷元人氏、藤井聡氏、中西輝政氏、日下公人氏など

~~~故人でいえば、竹村健一氏、渡部昇一氏、石原慎太郎氏、中曽根康弘氏、堺屋太一氏など)

が、いわゆる(右寄りの)保守系と呼ばれる人たちではないか?と思います。


学校の教科書の知識を超えない==新聞~TVなどのメディアを通してしか、政治や経済のニュースに触れない人々

は、いわゆるリベラル(左寄り)ではないかなぁ?と思います。


※その人がリベラルか?保守的か?を判断するリトマス試験紙は単純/シンプルです。

あれは、右寄りだ!右翼だ!といって右に傾いている人々や団体を批判するのは、左寄り=リベラルな人々。

あれは、左寄りだ!左翼だ!といって左に傾いている人々や団体を批判するのは、右寄り=保守的な人々。


トランプ前大統領やフランスのルペン氏などを“極右”として報道する日本≒欧米のメディアは、完全に左寄りです!

その主義主張にどのような論拠や根拠があるか?なぜ、そのような思想やそれに基づく政策が多くの人々に支持されているのか?

といった肝心な内容(コンテンツ)について、解説したり報道したりしたりする“国民を教育する”という本来のメディアの役割は・・・

ほとんど為されていません。


ただ、「自由」「平等」「人権」・・・などの誰も否定できない論理を単純に振りかざして、

それに一見すると反するような思想や主張をする人物を“頭のオカシナ人”というレッテルを貼る!

というラベリング=印象操作をするしか、少なくとも日本のマスメディアには能がありません。


右寄りという人々がどのような主張をしているか?

あるいは、左寄りの人々がどのような主張をしているか?

それは、池上彰さんに聞いてもホントウのコトは教えてくれませんよ!

自分で学んで勉強するしかないのです!

(池上彰さん自体が、テレビ朝日=朝日新聞社が生み出した“世論操作”のための駒ではないか!という批判があります。)


そして、大切なことは・・・

右寄り/左寄りの人々に政治を任せていると・・・どんな経済状態になるか?社会がそのような様態になるか?

という現実の“結果”がどうなるか?です。


イギリスのように、長年(右寄りの)保守党が担ってたが・・・

そのもたらした数十年間の政治の結果、経済状況が悪くなると、

労働党に政権が移る、という歴史的事象が起こります。


日本でも

(当時の)民主党に政権が移ったことがありましたが(十数年前)、

その結果があまりにも酷かったため、

日本のリベラル政党は未だ選挙で一定以上の投票率を得ることはできない!

というのは、日本人の“ある程度”の健全性を示しているかもしれません。


・・・・・・
話が逸れました
・・・・・・


令和の現代では、

“マルクス主義”という

世界史に「社会主義」(国家)というものを生んだ思想を

再評価する動きがあるようです。


確かに、資本主義のネガティブな側面を

マルクスは予言していたかもしれません。


しかし、社会主義国家の誕生(ソビエト連邦~中華人民共和国など)が

人類の歴史にもたらした負の側面・・・

何百万人~何千万人の人々が政治的に抑圧され、殺されていったか?

何十年も経済的に困窮する状況を作り出したか??

ということ=現実に起こった歴史を思うと、

マルクス主義を再評価するという動きに「?!」という思いを持っています。


「社会主義に染まった国には、

 腐敗した官僚機構と二流三流の武器(戦車、戦闘機含む)しか残らない。」

という的を得た表現にも出会ったことがあります。


資本主義経済のネガティブな面を補うためにこそ、

科学技術の進化(家電の進化~RPAやIoT、DX/デジタルトランスフォーメーションやAIなど)や政治・行政機構が必要なのではありませんか?



「政治思想はアヘンのようなものだ※」という言葉を聞いたことがあります。

・・・一度ハマると中毒になり、抜け出せない。・・・

そんな示唆に富んだコトバだと思います。

※「宗教はアヘンのようなものだ」という言葉を―――”政治思想”も世の中に数ある”宗教”の中の一つみたいなもんだなぁという個人的な思いから勘違いして記憶していたようです。
ドイツの哲学者・カール・マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』の中に見える言葉

―――宗教的艱難は、一つには現実的艱難の表現であり、一つには現実的艱難に対する抗議である。 宗教は、それが無精神のない状態の精神であるように、悩める生き物の溜息であり、無情な世界の感情である。 宗教は民衆の阿片である。

 

 


今でもJRの最寄り駅の街頭で、

共産党系の左寄りの人々が「戦争反対!」などの主張をしている人たちがいます。


日本は、先の大戦で

2度の原爆・・・そして、全国44都市に対する無差別爆撃が行われた

敗戦国ですので、

戦争の傷跡というものが・・・物理的なだけ(町の荒廃や戦没者、負傷兵およびその遺族・家族への経済的影響…など)でなく集合意識的にも(愛する伴侶や精神的支柱となる父親・母親、あるいはお腹を痛めて生んだ子供、手塩にかけて育てた子供、etc...を失う悲しみ…など)あるのでしょう。



しかし、左寄りの人々の主張は

日本の軍国主義が悪い、それに舵を切った政治家が悪い、という論拠です。



世界史の上で、いわゆる普通の“戦争”というのは、兵士と兵士が戦闘を行う・・・という形態です。


武器を持たない・・・一般市民に対する「無差別爆撃」ましてや「原爆投下」は、

明らかな“戦争犯罪”であり、“非人道的な行為”です。


しかし、“平和に対する罪”“人道に対する罪”で、敗戦国・日本を裁こうとした戦勝国・アメリカ/GHQの・・・

いわゆる東京裁判では、英語で話されている内容の日本語同時通訳が「Translation Stopped・・・(同時通訳は中断されました)」

という場面が多くみられたのは、

そもそも戦争を裁く法律がない=“国際法”に則っていない・・・「裁判(Trial)」とは名ばかりの「政治的見せしめ」だったからということの証左でしょう。

ドイツのニュルンベルク裁判では、ナチスのユダヤ人に対する強制収容所などの非人道的な行為を裁くという明白な意図なり、目的があったかもしれませんが。


世界を二度目の大戦に導いた

アメリカのルーズベルト大統領、

ナチスのヒットラー、

日本の近衛文麿、

は・・・

人々の政治思想を間違った方に導いた大罪人であることは誰の目にも明らかです。


しかし、思想というのは、政治思想だけではありません。

宗教も一種の思想です。


誤った宗教思想というと、

近年では安倍元首相の暗殺事件以降、その闇が明るみになった「統一教会」という拝金主義的な宗教もそうですが、

90年代に地下鉄サリン事件などを起こした「オウム真理教」というカルト宗教が

個人的には強く印象に残っています。


この前、「博士ちゃん」というバラエティ番組で“地獄”というテーマに夢中になっている男の子が出演していました。

地獄は8層構造になっていて、最下層は仏教の教えを否定したり、批判したりした人が行くところ、という解説になっていました。


個人的に縁のある仏教系の僧侶(スピリチュアル・ティーチャー)が説いていた教えはこれとは少し異なるものです。

それは、「政治や宗教などで人々を間違った方向に導いた魂が、地獄では最も重い罪を負う・・・」というものです。


いわゆる、この世的には尊敬される“先生”と呼ばれる・・・政治家、弁護士、宗教家/教祖、教師~教授・・・etc.でも

地獄に行くことがある!ということを説いている教えは、あまり普段は聞かない・・・稀有な教えかも知れません。


過去のブログ記事で
・・・・・・・・・・・・・
禅の僧侶が生きている間に瞑想ばかりを行い、この世で善行を積むということを怠り、阿頼耶識の愚鈍さを人々に広めた罪で、地獄で鬼に苦しめられているという文章を何かで読んだことがあります。
・・・・・・・・・・・・・
※「『高次の意識』=瞑想を通して触れるもの?!」
http://blog.livedoor.jp/hado_technology/archives/52005130.html

という指摘をしていますので、敬虔な僧侶でも地獄に落ちることのあるという実例を示した「確かな文献」があるのだと思います。


いわゆるスピリチュアルな事柄を仕事=生業にしている人々に対して
少し耳の痛いメッセージを送ったこともあります。
※「宗教、占いやスピリチュアルについて」
http://blog.livedoor.jp/hado_technology/archives/52004639.html


人間の人生・・・人それぞれの道のり~その人にしかわからない内面のプロセス(=過程/歴史)があります。

なにかしらの「体験」「経験」を経て、自身の中で「確証」なり「自覚」を持って…スピリチュアルな職業を選択していると思いますが、

いわゆる人を“導く”立場の人々は、それなりに社会的というよりも霊的な「責任」があるものと思っています。


それは、決して人の目や世間的な物差しで測ることはできないものです。

ヒーリングなり、占いなり、人生相談なり、あるいはセミナーなどで・・・

それを受けた側の人生に…内面に…魂に、どのようなポジティブな変化があるのか?あったのか?

常に(できうることなら…自ら追跡調査を行い)、自戒しなければ・・・

安易な“悟り”や甘い“認識”で―――自称「ヒーリング」や「占い鑑定」「人生相談」あるいは「セミナー」を行うことは、

“神の目”から見て―――「人々を惑わせた罪」として、想像だにしていなかった=自身が見聞きしたスピリチュアルな教えにはない

『あの世』を肉体を去った後に体験・経験させられることになるかもしれません。

※低次アストラル界というのが、ある!というのは……バーバラ・アン・ブレナンの最新著「コアライトヒーリング」にも書かれていることです!

※※過去のブログ記事「波動を上げる方法」にて紹介した・・・
http://blog.livedoor.jp/hado_technology/archives/51982413.html

白隠禅師「延命十句観音経霊験記」を読む
https://web.archive.org/web/20210122155801/https://www.altairspirit.com/2016/06/17/%E7%99%BD%E9%9A%A0%E7%A6%85%E5%B8%AB-%E5%BB%B6%E5%91%BD%E5%8D%81%E5%8F%A5%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E7%B5%8C%E9%9C%8A%E9%A8%93%E8%A8%98-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80/

というブログを転載します。

現代では、ヒーラー/カウンセラー/セラピスト~霊能力者/サイキック/スピリチュアル講師などと呼ばれている職業は、
日本では、すべて(仏教系の)「僧侶」が担ってきたような気がします。(現代でも職業「僧侶」は無数にいますが・・・)

そんな仏道に邁進する僧侶でも、低次アストラル界に落ちる人々がいる!という衝撃の実例を紹介します。

以下、白隠禅師「延命十句観音経霊験記」の伝える“観音さま/QuanYin”のお言葉です。

「たまたま受けがたい人身を受け、逢いがたい仏法に逢い、僧の身となることは前生の善因縁のためなのに、末代の悲しいことに、三百年来正しい仏法は滅び、邪法は潮が湧くように誤る上に誤り、邪師は蟻がうごめくほどに多いのです。彼等は弟子たちにこのように教えます。強いて仏を求め法を求めてはいけない。ただ一日中無念無心にせよ。無念無心であればすぐにその身そのまま仏である。用心して一切善悪の事に手出しするな。座禅観法も手出し、礼拝恭敬も手出し、写経も解説も手出し、参禅工夫も手出し、ただ日々空々として暮らせ。ここにおいてろくでなし坊主どもは飽食暖衣し、むなしく日々大きな図体を並べて眠り、精神は暗闇の深い穴です。彼等が死後には必ず黒縄地獄に落ちて黒い縄で大黒暗の中に吊るされ無限の苦しみを受けるのはもっともなことです。なぜかというと、彼の一生は悟るでもなく迷うでもなく、善でもなく悪でもなく、胸中には八識無明の阿頼耶識を抱き、口には常に無念無心を唱えているからです。形は声聞で口には常に虚無の大悪法を説いて、多くの在家の男女を教え誤り、ことごとく外道無知邪見の輩とします。その罪は五逆の重罪と同じです。あなたは人間世界に帰ったら、これらの事情をよく覚えて、親族や心ある人々に語り聞かせ、罪障ある人は地獄で苦しみを受けることを知らせ、来世あることを恐れしめ、もろともにつとめ励んで菩提・悟りを求めさせなさい。この十句経を怠ってはいけません。あなたが人間世界に立ち帰るのもこの経の威徳のたまものです」



ただ、クライアントも自分の意志でお金を払って、サービスを受け取ったのだから・・・

GIVE&TAKEじゃないか?という論理は、この世では成り立っても・・・

あの世的には・・・天国=“すべて”を見通している真実の世界(サティヤローカ/注:インド・サンスクリット語の表現)から見下ろせば・・・

受け取った以上の対価を与えていない≒“搾取”という構造であることに気づいています。



「人を導くとは?」―――本来どういうことであるべきか?ということの深い洞察を与えてくれたCX系のテレビドラマがあります。

それについては、また別の機会に触れることに致しましょう。


■いわゆる“スピリチュアルな教え”の功と罪

いわゆる低次アストラル界・・・心地よくない“あの世”=浮遊霊?=地獄の一種?!←→愛と歓びに満ちた光の世界

ということで、個人的に経験(?)したことを思い返しました。


いわゆるヒーリングの会を主宰するNさんという方の身近な会員さんで

3人の子供を育てる専業主婦であり、ヒーリングの会のヒーラー養成講座を受けたヒーラーでもあるYさんという方がいらっしゃいました。


Yさんには、不登校の娘さん(当時、高校生だったかな?)がいて・・・

個人的な交流もありました。


突然、Yさんが末期のガンに侵されていることが判明し、

N氏がY氏の求めに応じて個人的にヒーリングをする際に

とても険しい顔の形相でヒーリングをしていたそうです。


そして、ヒーリングの会の会員さんたちの祈りも空しく、

Yさんは余命宣告通りの命を終えました。


家族からは、闘病中のYさんのお顔が掲載された手紙(喪中の年賀状だったかな?)が

送られてきました。


当時、交流のあった霊的ないろいろと見える方(本職は、舞台監督などの全くスピリチュアルではない職業の方…40代女性)に

それを見せる機会があったのですが・・・

「ふ~ん」と一蹴していました。


たぶん、闘病中のYさんの写真を載せて拡散させる家族の方々のセンスを疑っていたようですが。


なによりも、N氏の対応と彼女の反応を見て・・・

Yさんはいわゆる天界には成仏しなかったのかなぁ~と思いました。


Nさんのヒーリングの教えは、

相手(クライアント)のありのままをそのまんま100%受け入れる事/受け止める事=“愛”だ!という教えです。


Yさんは、ある意味Nさんの教えのままに・・・不登校の娘をそのまんま受け入れ、ありのままに本人のなすがままに任せている・・・

そんな印象でした。


ここで、わたしの魂は・・・語りかけます!

親の子供に対する「愛情」、子供に掛ける「愛」というものは・・・そのままを受け止める“優しさ”だけでいいのか?

時には、厳しく・・・正しく“人生の先輩”として導くということが必要ではないか?と思うのです。


不登校にもい色々な事情があると思います。

不登校なら不登校で、どうやって社会に出たときに子供が困らないように…教育を受けさせるか?

高卒資格を取らせた方が良いか?そして、専門学校という選択肢もあるかもしれない。

何で将来、生計を立てるつもりなのか?―――そのために若いうちにできることは何か??

そのようなことを真剣に考え、心配し悩み苦しみ考えることも・・・親の愛ではないでしょうか?

ただすべてを受け入れる、すべて子供の自主性に任せる、というのは・・・極度の放任主義であり、

日本国憲法に定める「国民の3大義務」のひとつ、『子供に必要な教育を受けさせる義務』の不履行でしかありません。


ヒーラーN氏は、自分自身よりもより深遠な意識状態=明智に富んだ眼を持っていたサイキック・チルドレンのKくんに…

自分は子供に対してキツく叱ったり、怒ったりしてしまって、罪悪感を抱いてしまうこともあるのだけれど・・・どうすればいいのかな?

という相談を公にしていたこともあります。


N氏は、ある意味で言行不一致なヒーラーであり、能力者ですね。


すべての人々に・・・神が与えた唯一の役割=ダルマがあり、カルマ(業)もあると思いますが・・・

ヒーラーであれ、ヒーリングを人に教える教師であれ、スピリチュアル系の著作を生み出す著述家でも・・・

そうでなくても、すべて平等に与えられている機会=チャンスがあります。


それは、自分の考えとは反対の意見を持つ人から学ぶ・・・

あるいは、自分自身が思ってもいなかったトラブルに遭遇する/壁にぶち当たる・・・

という真実の“神の恩寵”/Grace of Godです。


Nさんのヒーリングの会報誌を毎月、読んでいましたが、

Nさんの考え方と全く反対の考え=思想の人がヒーリングの会にやってきたことがあったそうです。


Nさんは、玄米菜食の人工調味料否定=自然派(オーガニック)の権化のような人でしたが、

肉が最も栄養価の高いたんぱく質を含んだ最高の食材だ!そして日本の神道では、牛も豚も鶏も肉食を禁じるという習慣がない。

そして、「味の素」の人工調味料が人間の体に悪い影響を及ぼすなんて陰謀論で、全く医学的に言って問題ない!という主張をする人が来たそうです。


そのことを、Nさんは「宇宙は、自分とは真逆の人とも出会う=邂逅する学びをさせることもある」としてただ記事に書いていましたが・・・

私はその記事を読んで、さすがNさんの元には“真実の学び”を得られる機会を神様が提供しているのだなぁ・・・

でも本人はそのことにどれだけ気づき、そこから学んでいるかなぁ?という思いがありました。


Nさんは結局70代前半で、肝臓がんで余命宣告通りの生涯を終えました。

Nさんには、がんを平癒して欲しい!という想いと、魂の何かしらの“学び”がゼロであれば…いわゆる奇跡的回復というのは難しいだろう・・・

との思いから、Nさんが否定していたAさんという波動研究家の企業グループが発売している抗がん作用のあるSOD食品(パッケージはAさんの妹さんがデザイン)を

オススメするため、遠隔のヒーリングを有料で申し込み・・・そこにメッセージを添えさえていただきました。


いわゆるレベルの低い“スピリチュアル系の教え”には、どこかで語られた・・・耳心地のよいお話しか詰まっていません。

しかし、生身の肉体を持って、現実世界を生きている私たちには・・・

自分の人生を選択し、人生を創造していく・・・個の人生の創造主=魂としての存在と同時に・・・

   宇宙の片隅で(※1)地球という惑星に転生し、

   何万回~何億回も輪廻転生を繰り返す…永遠に漂流する魂(※2)として

   人生経験を通して=肉体を持って体験することを通して

   “学び”をしている存在である!

という認識/教えが

昭和の頃に活躍したスピリチュアル・ティーチャーには、確かにありました。


そして、それは・・・

令和のスピリチュアル系の書籍やセミナーをしている人々にはない・・・

厳しさと優しさを伴った“強い光”を放っていました。


令和の“今”の時代は、YouTubeの無料動画を通して

彼らの存在~生き語っている様子を垣間見、その教えに触れることが出来る・・・

心ある求道者の魂を持つ人々にとっては、ありがたい時代となりました。


真実の教えに触れるのに必要なお金は、本を通して学ぶ場合のみ書籍代+送料(電子書籍ならゼロ)がありますが、

無料でも・・・お金をかけなくても良い!素晴らしい時代になったもんです。

ある意味、昭和の頃・・・21世紀は素晴らしい光の時代になるという予言≒預言?がありましたが、

これはいろいろな意味で実現したとも言えるし・・・

複雑性=多様性が増し、真実に辿り着くのに困難な時代になったとも言えるかなぁ?というのが

個人的な実感です。



そして彼らが肉体を持って、今日よりも業想念の強く=暗い雲のかかっていた昭和の時代に

「光の天使」として転生し、その業績=スピリチュアルな道程を歩んできた・・・

その偉業を真に称え、その意義が真(シン)に/マコトに明らかになる、そういう時代が

あと何年後に来るのでしょうか???


※1・・・荒井由実「14番目の月」~朝陽の中で微笑んで~の歌詞の一部

※2・・・松任谷由実「天国のドア」~SAVE OUR SHIP~の歌詞の一部



YouTubeを通して、見聞きできる昭和~平成時代の日本のスピリチュアル・ティーチャーについては、

別の機会にブログ記事として、まとめようと思っています。



テレビ番組で、人生行路の岐路に立ったとき―――左か?右か?の選択肢に悩んだ時・・・

親父が「自分にとって楽な道か?苦しい道か?どっちか迷ったときは、苦しい道を行け!」という言葉を思い出し、

その通りに(一見すると苦しい)道を選んだ。今振り返ると、その親父の言葉は・・・的を得た、素晴らしい金言だった。

というエピソードを聞いたことがあります。


「ヒーラー」や「占い師」「住職/神主/神父」などの肩書や無名/有名の境(ボーダー)に関係なく、

このような“霊言”をポツリと語る魂こそ、(その言葉を受け取った魂にとっての)真のスピリチュアル・ティーチャー=魂の先輩なのでしょうね。