人は何のために生きるのか?
昭和~平成の時代の精神世界本や宗教の世界では、
カルマの法則(因果応報)などの魂の学びのためにする!
というのが、答えでした。
※カルマの法則については、
「転生の秘密」というエドガー・ケイシーの残した本が
具体的な事例を挙げて詳しく書かれているので一読をオススメします。
しかし、2000年、さらに2012年を超えて令和の現代。
クリスタルチルドレン、インディゴチルドレンと呼ばれている子供たちは、
人生を楽しむためにあるもの、というメッセージを伝えてきてくれています。
生まれ変わりの経営学的研究・科学的研究本として1990年代にベストセラーになった「生きがいの創造」のまえがきには、
「前の人生で生きていて楽しかったの。だから、また生きようと思ったの」という子供の話が紹介されています。
彼などはその典型でしょう。
私がドーマン法という脳障害児のリハビリのお手伝いに行っていた先のK君も大人の悩みにこたえるなどのサイキックな能力のある特異な子供で
彼の発信しているメッセージも、今いる自分を愛して、人生を楽しんで!というのが基本的なスタンスでした。
しかし、人生は楽しいばかりのものではありません。
これは、40年という歳月を今世で経た魂の教訓=学びとして、言えることです。
それでは、人生は何のために生きるのか?
それは、半分は楽しむため/半分は学ぶため、というのが今時点での私の個人的結論です。
なによりも、脳障害児として不自由な身体を生きるという苦行をしている彼が発信するからこそ、
人生を楽しんでほしい、今いる自分を愛してほしい、という愛のメッセージを送るだけの重みというか、ありがたみが存在し得るのでしょう。
宇宙的なカルマということでも、かつて地球にはさまざまな銀河や星団出身の多種多様な異星人が暮らしていたようです。
けれども、足立育朗さんの「真 地球の歴史」によれば、
人生に対してポジティブな方法論をとるグループとネガティブな方法論をとるグループが対立して原子核戦争を起こして幾多の文明が滅んだ。
ということが記されています。
このポジティブな方法論とは、まさに「人生は楽しむためにある」という人生観/価値観であり、
一方のネガティブな方法論とは、「人生は学びのためにある」という人生観/価値観ではないか?
と推察するのです。
というのが私の魂の直観です(笑)。
天秤のように、どちらか一方ではバランスが取れないのです。
「楽しみ」※も「学び」も人生にとっては両方ともなくてはならないモノなのではないでしょうか?
※仏教でいう今生で受ける様々な「楽」