この本は翻訳書で、原書は一九三七年にDevorss&co.から発刊されており、著者は、BAIRD T.SPALDINGです。そして、原書の題名は“THE LIFE AND TEACHING OF MASTERS IN FAR EAST.”です。日本語に直訳しますと『極東における聖者たちの生き方と教え』となります。訳した人は仲里誠桔さんで第一巻から第五巻まであります。
第一巻の副題は、「人間本来無限力」
第二巻は、   「神性開顕」
第三巻は、   「因果の超克」
第四巻は、   「奇跡の原理」 という副題が
第五巻は、   「久遠の生命」
ついていますが、第一巻と第二巻は、特に参考になりました。
 同書第一巻の冒頭に、「著者はしがき」としてベアード・T・スポールディングが、同書を世にだすことになった由来を書いています。
 それによりますと、スポールディングは一八九四年から極東の地質などを調べた十一人のアメリカの地質調査団の一員であり、調査中、何人かの聖者たちに援助を受け貢献を受けたことが明記されています。その時に彼らが体験し、見、聖者たちに教えられたことを書いたのがこの五巻の本なのです。
 特に第一巻と第二巻は、事実そのものを、彼が見、体験し、感じたそのままに書かれたと判断できますので、私にとって非常に参考になったのです。
 ともかく、この本の扉には、つぎの□内のような文章があります。

 人間の本質は宇宙の本質と同じである。故に人間には無限の能力がひそんでいる。その悟りと行(ぎょう)によって、人間は超自然的現象、いわゆる“奇蹟”をおこすことが出来、人間が真に自分白身と宇宙との主になることが出来るのである。
 本書は、荒廃の現代に光明を与え、人間開眼と神性開顕の驚異の書であり、かつて、実際に探検隊が見聞した奇蹟の数々を、ありのままに描写したものである。

 そして第一巻の目次には、「肉体の自由自在なる出現・消滅」「死の克服、分身による奉仕」「無限供給、その実例と原理」「水上歩行」「人間完全への道」……など、常識的にいいますとびっくりするようなことが並んでいます。
 普通の知識人なら、この目次を見ただけで多分、同書をSFか幻想小説だ……と断定し、もの好きな人でないと読まないだろうと思います。
 二十年前の私も同様だったと思います。しかし、ここ二十年来、私の周辺には常識外のことが数多く起こりました。その一部は本書内にも書きました。
 それらのすべてを否定することはできません。そこで、まず否定も肯定もしないことにしたのです。
 そのうちに、それらの大半は、フシギでも奇跡でもなく、合理的にといいましても私流の合理的な論理でですが、理解できることに気づきはじめたのです。
 したがって、『ヒマラヤ聖者の生活探究』をはじめて読んだ一九八五年ころには、案外すなおに「多分、事実を率直に書かれた本なのだろう」と納得しながら読みました。いまでは、著者のスポールディングは、少なくとも第一巻、第二巻に書かれている事項を、事実として見、体験し、感じたのであり、それを科学者の好奇心と常識のはざまで慎重にコトバを選びながら書いた実録だ……と思っています。
 そのように判断しますと、私の周辺で時々おきた、いままでは超常現象といわれていることも、サイババさんがしている(?)ことも、すべてわかるのです。
 また、そのような超常現象を人間がおこせる可能性があることも『超ひも理論』や『生気体論』あるいは『波動原理』で充分に納得できます。

 「ヒマラヤや聖者の生活探求』を読みますと、極東の聖者たちは、①お互いに思念を念じたり、思うだけで伝達できる、②動植物を意のままに動かせる、③思うところへ肉体のまま空間を移動できる、④必要な物を、いつでも空間からつくり出せる、⑤死を克服できる、⑥分身の術を使える、⑦人工物を完全なものにできる、⑧彼らの肉体は常に若く、しかも美しい、⑨時間も「思い」でコントワーールできる、⑩病気をたちどころに治癒できる、⑪「宇宙力」を使いエネルギー問題も解決できる、⑫衣服もカラダも汚れない、⑬あらゆる存在の過去の生き方や生きざまがわかる、⑭他人に自由に好みの夢を見せることができる、⑮自分の創った物に、生命を与えることができる……など、どんなことでもできるようだ……と、その実情をスポールディングは記しています。それゆえに第一巻の副題は「人間本来無限力」なのでしょう。
 当然、聖者たちは「幻覚を事実のように見せることもできる」はずですから、スポールディングたちが見たり体験したものは、幻想だったのかも知れません。
 しかし同書を真剣に読みますと、それらの一つひとつについて聖者たちが、実に的確に解説し、アドバイスしてくれていることがわかります。はっきりいってこれらを幻想というなら「この世」も幻想だといえることがわかります。

 訳者の仲里さんは、超常現象の研究家としても、すばらしい人格者としても有名な方ですが、本書について、彼はつぎのようにいっています。
 ①一切の学問(科学)は、永遠の進化の過程にある。現状では未知の現象や法則、休系などが数多くあるはずだ。したがって、ニュートンの言ったように、「科学者は神秘の大海の渚に打ちよせられた無数の貝殻(現象、知識、法則)を一つひとつ取りあげ、喜んでいる小児に等しい」のである。
 ②宇宙には次元がある。各次元(の世界)には、それぞれの法則とか体系がある。ただ低次元の世界とその法則、体系は、より高い次元の世界や、その法則体系に包摂されている。奇跡とは、何らかの理由で、高次元の世界の法則が低次元の世界に延長された時におこることである。
 ③魂が高度に純化され、真理に関する深い叡知が得られねば、人間は四次元以上の法則は駆使できない。
――と仲里さんは言っています。私には、彼の言葉が実によくわかります。

 ともかく、極東のや聖者たちもいっていますが、私はいま、次のように思っています。
 ①私たちの本質=魂は、サムシング・グレートの分身である。
 ②その本質と、肉体とともにある顕在意識が、まず一体化する努力をするために、肉体を持ってわれわれは生まれてきたようだ。
 ③顕在意識が、その本質と一体化すると、三次元的制約はなくなるようだ。われわれの「思い」で、三次元的制約は破れるようである。現に、そのような人も存在する。(そして、これらのことは超ひも理論、波動原理などで、充分に説明でき、納得できます)。
 ④マクロにみれば、われわれ個々は、すべてと一体の存在である。ただ肉体を持っており、常識的には「個」の存在であることに意義がある。それ故、スピーディに学べるのである。われわれは学ぶために肉体を持って個として生まれてきたのである。
 ⑤顕在意識が、本質=魂=宇宙意志と一体化するためには、(1)良心にしたがう努力をすること、(2)真の自然=宇宙意志にしたがう努力をすること、(3)エゴを超克する努力をすること、(4)あらゆることを認め、できるだけこだわらず、すべてをわかる努力をすること、(5)「人間にも不可能はない」と思える努力をすること……のなかから、やりやすいものからはじめるといいようだ。
 ⑥ともあれ、できるだけ、(1)慈愛の心ですべてのものに接し、(2)正しいこと、良いと思えることはやり、(3)まちがっていること、やめたほうがいいと思うことはやめよう、(4)そして学ぼう……と思っております。
 読者の皆さまもできることでしたら、『ヒマラヤ聖者の生活探究』をゆっくり、くり返して読み、「世の中の仕組み」や「人間のあり方」について、考えてみてください。そして良いと思うことをやり、やめるべきだと思うことをやめるようにしてほしいのです。

「人間のあり方」(船井幸雄・著)220~226ページより抜粋

 

※船井幸雄氏の推薦していた「ヒラマヤ聖者の生活探究」シリーズがWeb上で無料で読めるようになりました。

 

■ヒマラヤ聖者の生活探究
「ヒマラヤ聖者の生活探究」(
仲里誠桔・訳)シリーズ全文を無料公開しています。
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