体の傷が治るとき
かさぶたができて
少しずつ新しい皮膚が生まれてくるように、
心についた傷もゆっくり癒えていく。


魔法のようななにかで、
一瞬のうちに「なかったもの」にすることはできない。



治癒に時間がかかるのは、
癒しのプロセスが大きなギフトだから。



時間をかけて
その傷からなにが贈られたのかを
さぐっていく作業そのものが、
その人を癒していくのだと思う。



2017/06/22 フェイスブックへの投稿より
***














心の傷は肉体の傷とはちがって目に見えないから、
癒えたのかどうかがとてもわかりにくい。


もう大丈夫!
と思っていたのに全然そうじゃなかったり、

反対に
とっくにオッケーになっているのに
傷にこだわりすぎて足をすすめることに躊躇したり、
なんだかんだとそりゃあいろいろある。



ふりこのようにいきつ戻りつ
その振り幅が大きすぎ

気まぐれすぎ

気難しすぎ

ガラスのように傷つきやすすぎで
わたしはしょっちゅう自分がイヤになる。


あつかいに困ることといったらない。




でも

どんなに情けなくても
理想からはるかに遠く
いくらなんでも弱っちすぎる!とイライラしても

ポイッと自分を投げ捨てるわけにはいかないんだよね。






ったくしょーがねえなあ

こんなめんどくさいヤツ
自分じゃなかったらだれが面倒みるってんだ?


…とかなんとか
ブーブーいってアタマをかきむしりつつ、
どうしようもない自分と一生つきあっていくしかない。




高すぎる自分への期待と
非難にみちた目線をすてて
ゆったり自分をみられたら、最高なんだけど!




ま、少しずつ贈り物をひもときながら、気長にいこう。









会津若松のきれいなもの。しょーもない自分に贈り物♡(笑)




*記事のテーマがなぜか「震災のこと」以外にえらべない…