体の傷が治るとき
かさぶたができて
少しずつ新しい皮膚が生まれてくるように、
心についた傷もゆっくり癒えていく。
魔法のようななにかで、
一瞬のうちに「なかったもの」にすることはできない。
治癒に時間がかかるのは、
癒しのプロセスが大きなギフトだから。
時間をかけて
その傷からなにが贈られたのかを
さぐっていく作業そのものが、
その人を癒していくのだと思う。
2017/06/22 フェイスブックへの投稿より
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心の傷は肉体の傷とはちがって目に見えないから、
癒えたのかどうかがとてもわかりにくい。
もう大丈夫!
と思っていたのに全然そうじゃなかったり、
反対に
とっくにオッケーになっているのに
傷にこだわりすぎて足をすすめることに躊躇したり、
なんだかんだとそりゃあいろいろある。
ふりこのようにいきつ戻りつ
その振り幅が大きすぎ
気まぐれすぎ
気難しすぎ
ガラスのように傷つきやすすぎで
わたしはしょっちゅう自分がイヤになる。
あつかいに困ることといったらない。
でも
どんなに情けなくても
理想からはるかに遠く
いくらなんでも弱っちすぎる!とイライラしても
ポイッと自分を投げ捨てるわけにはいかないんだよね。
ったくしょーがねえなあ
こんなめんどくさいヤツ
自分じゃなかったらだれが面倒みるってんだ?
…とかなんとか
ブーブーいってアタマをかきむしりつつ、
どうしようもない自分と一生つきあっていくしかない。
高すぎる自分への期待と
非難にみちた目線をすてて
ゆったり自分をみられたら、最高なんだけど!
ま、少しずつ贈り物をひもときながら、気長にいこう。
会津若松のきれいなもの。しょーもない自分に贈り物♡(笑)
*記事のテーマがなぜか「震災のこと」以外にえらべない…