娘が生まれた日のこと。
仕事仲間の出産報告を受けて、
生まれたての赤ちゃんってなんて可愛いのだろう!と、
今日は、娘が産まれた日のことを思い出していた。
分娩台で、初めて娘をこの腕に抱いた時のこと。
その時のことは、よく
「こんなに可愛いなんて!」
とか
「こんなに愛おしい存在が世の中にあったなんて!」
などという第一声の感想を聞くけれど、私は違っていた。
腕に初めてやってきた娘は、真っ赤で顔もパンパンで、
お世辞にも“可愛い”という第一声は出なかった。
「あぁ、この子なんだ」
その思いを私は噛み締めていた。
この腕に初めてやってきた娘が、重かったのか軽かったのか、そんな記憶もないのだけれど、
そのずっしりとした命の重みを前に、その当時にはまだわかりもしなかった“責任”というようなものを見つめていたのかもしれない。
と同時に、
私が死ぬときにはこの子が私の隣にいるんだな、と、
いつかのその時にはこの瞬間を必ず思い出すのだろうなどと、
生を前に死についても考えていた。
可愛い!や愛おしい!という感情もないままに、
ただ黙って私は娘を腕に涙を流していた。
出産は、破水から4日もかかる超難産で、
産後は1ヶ月、貧血の薬を飲んでいたこともあり、
周りのみんなからは、初めての育児は眠れないし大変でしょう?辛いでしょう?などと言ってもらったりもしたけれど、
そんな心配をよそに、新生児の時期は、
時の流れの早さを恨み、
どんな瞬間も、ひと欠片も逃したくなくて、一瞬たりとも目を離さずに、永遠に記憶に留めておこうと心に誓っていた。
その後、あっという間にイヤイヤ期がやってきて、
それはそれは沢山途方に暮れて、怒りをあらわにし、
それから今に至るまで、日々、怒ったりイライラしたりが大半なのだけれど、
結局いつだって娘を心配している気がする。
今、初めて娘をこの腕に抱いた時のことを思い出すと、
目に映ったその光景は、尊く、愛おしい。
私にとっての愛おしいって、
こういう事、なのだろう。