拝復 水樹綾様 ”アステリアスよりー混沌から光を求めてー”届きました。

             ありがとうございました。

  田山花袋、志賀直哉、仮面の告白 等々々、日本の誇る私小説というよりも

   これは次元を超え人生を変えた壮絶なノンフィクション なのですね。

 

 ”その年の6月 綾さんは芝居仲間3人で山登りをしました。99%快晴の予報のなか

  突然の豪雨、何故か引き返さずに山登りを続ける。ところが帰ると、むかつき

   吐き気  人を背中におぶさっているような様々の身体の不調を感じ始めた。

 ひと月後 稽古始めで一緒に山登りをした八神さん(男性)にも同じ変調があり、

 特に彼は腕に激しい痛みを抱えている。彼が崖の辺りで撮った写真に、見知らぬ人    

 の影が認められる。変調と戸惑いを抱えつつ、綾さんは自分のなかのもう一人の

  女性の求めに応じ、お寺(実際は神社)を 目指す。八神さんも到着する。

         すると八神さんのなかのもう一人が叫ぶ。

    「俺が用があるのは そこにいる女だ!あいつと一緒にしてくれ」

  綾さんの内なる女性の嗚咽も激しくなり、綾さんも激しい痛みに襲われる。

居合わせた友人たちが八神さんと綾さんの手をしっかり握り合わせると二人は激しく

泣きじゃくる。「良かったな、・・良かったな・・」男の声に女性も頷き充足と安堵

の底に浸りながら、 高く澄んだ声で美しいメロディを口ずさむ。”

 

   そこからこの物語は始まります。”混沌から光を求めて”への出発です。

  その後、答えを求めた八神さんが、ふと足の向いた(目指したのではなく)

  お寺で祈り終えると、遭遇した修行僧から以下のような顛末を知らされる。

 ”2人に憑依した二人は、駆け落ちらしきことで、かつて関所があった、あの崖の

 ところにさしかかる。関所破りを試みたが叶わず、来世を誓い腕と腕を結び合っ

 て飛び降りたが途中で男性の腕がもげ痛みと無念の思いで離れ離れ。

    魂は一種の地獄で存在し続け300年を経て漸く思いを遂げる。”

 

  その後も身体の不調が続くなかで、水樹綾さんはこのように書き記しています。

    「他者のために何かをしてあげることができたという思いが

      これほど自らを満たしてくれるとは思いもしませんでした」

 

  この言葉はとても刺激的です。僕がこの言葉に気づく経緯を今から綴ります。

 経営者は、常に、競争社会のなかで事業を持続又は発展しなければなりません。

 激変する将来への展望、売上目標、経営分析による実態の把握と対策、加えて

 事業をとおしての社会への貢献など。小売業における競争というと共通のエリア

 で同じような商品で競うことになります。それなりの結果はでていましたが、相

 手を意識したプレッシャーとの闘いでもあり、心療内科の門をくぐったことも。

   何しろ 小売、流通業界を導くはずの専門誌、商店界、商業界、

   2誌共 消滅しています。     このことも口実として ボクは 

  コンサルタントが当たり前のように指導する経営の論理から脱落しました。

 

 既報の繰り返しですが、仕事とは事に仕える、働くはㇵタ(傍)をラクにする、

 ビジネスはbusyにness、事に使え、ㇵタをラクにすれば忙しくなる、という訳。

 そしてウオルシュの”神との対話” past now future のなかで now=present

                  現在は神様からの贈り物(present) 人生はいつも”今"。

 1日も1年も”時”は今の 積み重ね、その受け取り方の積み重ねが、それぞれの人の

  ”今”になっている。 今、眼の前の人を大切にして目の前の事を大切にする。だけ。

     でも 過去の後悔からも、未来の不安からも開放されました。

 マルコの福音書のなかで、律法学者の質問に イエス はこのように答えています。

   「第2はこれである(第1は神を敬い神を愛する)汝を愛するように

             汝の隣人を愛せよ それより他に戒めはない」

              目の前の人=隣人 ですね 

 

 ”生まれがたき人の世に生をうけ 限りある身の 今 生命あるは有り難し(法句経)”

         ”人身受難し 今 已に受く(三帰依文)”

 すべての生物は、生態系の一員として自然の摂理(神)の元に生かされています。

 数多ある生物にあって、人として生命をいただいただけでも有り難いと経典は

 述べています。その感謝と できないまでも その心で目の前の人に接する,その

    発信は自分に喜びとして帰ってきます。それを紡いでゆく日々こそ

   最もラクで最も確実な幸福への王道だと気づいてしまいました。 それは

  気持ちいい日差しと風がそよぐ野原のなかで、四葉のクローバー発見みたいな。

              毎日が楽しいことばかりになります。

   もしかしたら、浮力に閃き裸でお風呂からとびだしたアルキメデスのように!

 もしかしたら、りんごが木から落ちるのを見て重力を知ったニュートンのように!

           

  お金も喜ばれるように使うと友だちと幸せを連れて帰って来る、と教わりました。

     更に”隣人を愛する”ということは、誰もが、今すぐ実行できる

                  世界の平和のための唯一の方法。

    平和を叫ぶ人々は、自分たちの平和を熱く語り、別の平和と争う。

           時に力ずくで跪かせようとする現実。

           水樹綾さんの言葉を繰り返します。

     「他者のために何かしてあげることができたという思いが

        これほど自らを満たしてくれるとは思いませんでした」

 

      実業家としておちこぼれた、その後の僕の場合もお話します。

     実は 多くの仕入先と従業員に助けられました。そして 昨年

    従業員たちに家内共々 ”きいちゃん原画展”の準備中の原画の前で

        サプライズの花束を 生まれて初めて手にしました。

     「なんのために存在するのか、なんのために活動するのか、

                       それを考えるのが経営だ」

       その後に知った、ピーター・ドラッカーの言葉です。

       アランのこの言葉も僕を支え続けててくれました。

    「楽天主義は意思の所産だが厭世主義は自己を放棄した状態である」

      ’23年7月31日 半世紀以上にわたる白久の社長を退任しました。

日本の企業を調査する著名な2つの会社からも、それぞれ訪問をうけ

           温かい評価もしていただきました。

                     ー 本屋として その5  へー