夫婦二人で音楽を始めて、
何回かは子ども達を実家に預かってもらって
ライブをしてましたが、やがて

子どもを預けてライブすることが
果たして幸せなのか。


ということを考えるようになりました。


子どもたちをステージに関わらせたい、、
とタップダンサーの友達に手伝ってもらい
手伝ってもらって「童謡JAZZ楽団」
がはじまりました。

童謡のJAZZアレンジに合わせての
タップダンスと
子ども達が楽器で遊ぶ様子をお届けする
老人福祉施設向けのコンテンツ




これが大成功
子どもが何かするだけで
歓声が上がる。

というか、
「私たち大人の演奏、聴いてます??」

というくらい、
子ども達に釘付け。


これに味をしめ
福祉施設に次々と慰問にいきました。


ステージで好き勝手放題
時には楽器の取り合いからケンカになる、、
ある意味ライブ(笑)






自我が出てくると、
好き勝手することが恥ずかしくなり、
棒立ちになったり、
動きを決めないと動けなくなってきました。

ある日お兄ちゃんが
「歌を歌いたい」

と言い出します。


子どもが歌い出し、
童謡JAZZ楽団と並行して
樂団石原家が誕生しました。
.

PAセットも揃えて
どこでもライブできる状態になりました。



最初は、お風呂で歌の練習。

ウォータードラムをしながら
体を洗いながら
あったまりながら。



.
.
アルプス一万尺をジャズアレンジして、
手遊びしながら歌う。。

なんていうのもありました。

.
子ども達が飽きないように、
動きを作ったり。
曲を工夫したり。
とにかく試行錯誤の日々。




「歌を歌うことがお手伝い」


と教えるようになり、
ライブのあとは必ず「打ち上げ」
もするようにしました。
美味しいものを食べて
アイスで乾杯。

とにかく
「君たちが歌を歌ってくれるおかげで、
ライブが本当に楽しい。本当にありがとう!!」

ということを常に伝えるよう
心掛けてました。


子ども達2人のマイクも含めたPAができるようになったので、
私たち夫婦も音楽ブース運営という、
新しいチャレンジをすることができました。

樂団石原家がなかったら、
体験できないことでした。



「セカイノオワリ」が大好きになった
二人に合わせて、
ほぼコピーバンドになった時期も
ありました。
.



やがて、

「YouTuberになりたい」

という子ども達の言葉から、
YouTubeをはじめます。

子どもたちのアイディアを
脚本にして、撮った動画を編集する。
結構な労力でした。
脚本は時々夫が考えてくれました。


企画がなかなか出なくなって、
子ども達も次第になりたいものも変わって
YouTubeは自然消滅。

URL: youtu.be



兄が

「ジャズを歌いたい」

と言ったので、
友達のジャズボーカルの木暮純子さんに
レッスンをお願いしました。
その後、私が純子さんの教え方を真似して、
教えるようになりました。
同時に、自分の歌の練習もするようになりました。

日本語と違ってなかなか覚えられないので、

「朝ご飯を食べたあと、
みんなで1回だけ歌う」

という練習をしました。
時間は2分から5分
たったこれだけなのに、
毎日続けるというのは、
ものすごい効果を生みました。
レパートリーは次々と増えていきました。

お兄ちゃんが中学生になり、
ライブの日と部活の練習が被るようになり、
活動は少しずつなくなっていきました。

朝練習もしなくなったので、
「練習をしない限りはステージに出さない」
という約束をしています。

一向に練習する気はないようですが、
時々ウクレレで樂団石原家の曲を歌ってると
一緒に歌い出すことがあります。

自分の練習だから、ちょっと邪魔だけど
贅沢な悩みなのかな、、と思っています。


URL: youtu.be





ちなみに樂団石原家ができる前の
夫婦の活動はこちら↓↓↓






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