![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/aa/79/j/o1126106215297554033.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/36/32/j/o1600099715297554038.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/66/64/j/o0874070815297554044.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/d4/52/j/o1170083815297554052.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/0b/b5/j/o1170093215297554056.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/bc/9d/j/o1170070215297554057.jpg?caw=800)
夫婦二人で音楽を始めて、
何回かは子ども達を実家に預かってもらって
ライブをしてましたが、やがて
子どもを預けてライブすることが
果たして幸せなのか。
ということを考えるようになりました。
子どもたちをステージに関わらせたい、、
とタップダンサーの友達に手伝ってもらい
手伝ってもらって「童謡JAZZ楽団」
がはじまりました。
童謡のJAZZアレンジに合わせての
タップダンスと
子ども達が楽器で遊ぶ様子をお届けする
老人福祉施設向けのコンテンツ
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/e1/41/j/o1334075015297554061.jpg?caw=800)
これが大成功
子どもが何かするだけで
歓声が上がる。
というか、
「私たち大人の演奏、聴いてます??」
というくらい、
子ども達に釘付け。
これに味をしめ
福祉施設に次々と慰問にいきました。
ステージで好き勝手放題
時には楽器の取り合いからケンカになる、、
ある意味ライブ(笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/12/2f/j/o1334075015297554065.jpg?caw=800)
自我が出てくると、
好き勝手することが恥ずかしくなり、
棒立ちになったり、
動きを決めないと動けなくなってきました。
ある日お兄ちゃんが
「歌を歌いたい」
と言い出します。
子どもが歌い出し、
童謡JAZZ楽団と並行して
樂団石原家が誕生しました。
.
PAセットも揃えて
どこでもライブできる状態になりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/a7/d9/j/o1334075015297554073.jpg?caw=800)
最初は、お風呂で歌の練習。
ウォータードラムをしながら
体を洗いながら
あったまりながら。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/e3/ee/j/o1334075015297554079.jpg?caw=800)
.
.
アルプス一万尺をジャズアレンジして、
手遊びしながら歌う。。
なんていうのもありました。
.
子ども達が飽きないように、
動きを作ったり。
曲を工夫したり。
とにかく試行錯誤の日々。
「歌を歌うことがお手伝い」
と教えるようになり、
ライブのあとは必ず「打ち上げ」
もするようにしました。
美味しいものを食べて
アイスで乾杯。
とにかく
「君たちが歌を歌ってくれるおかげで、
ライブが本当に楽しい。本当にありがとう!!」
ということを常に伝えるよう
心掛けてました。
子ども達2人のマイクも含めたPAができるようになったので、
私たち夫婦も音楽ブース運営という、
新しいチャレンジをすることができました。
樂団石原家がなかったら、
体験できないことでした。
「セカイノオワリ」が大好きになった
二人に合わせて、
ほぼコピーバンドになった時期も
ありました。
.
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230611/20/haconiwacoffee/eb/d3/j/o1334075015297554084.jpg?caw=800)
やがて、
「YouTuberになりたい」
という子ども達の言葉から、
YouTubeをはじめます。
子どもたちのアイディアを
脚本にして、撮った動画を編集する。
結構な労力でした。
脚本は時々夫が考えてくれました。
企画がなかなか出なくなって、
子ども達も次第になりたいものも変わって
YouTubeは自然消滅。
URL: youtu.be
兄が
「ジャズを歌いたい」
と言ったので、
友達のジャズボーカルの木暮純子さんに
レッスンをお願いしました。
その後、私が純子さんの教え方を真似して、
教えるようになりました。
同時に、自分の歌の練習もするようになりました。
日本語と違ってなかなか覚えられないので、
「朝ご飯を食べたあと、
みんなで1回だけ歌う」
という練習をしました。
時間は2分から5分
たったこれだけなのに、
毎日続けるというのは、
ものすごい効果を生みました。
レパートリーは次々と増えていきました。
お兄ちゃんが中学生になり、
ライブの日と部活の練習が被るようになり、
活動は少しずつなくなっていきました。
朝練習もしなくなったので、
「練習をしない限りはステージに出さない」
という約束をしています。
一向に練習する気はないようですが、
時々ウクレレで樂団石原家の曲を歌ってると
一緒に歌い出すことがあります。
自分の練習だから、ちょっと邪魔だけど
贅沢な悩みなのかな、、と思っています。
URL: youtu.be
ちなみに樂団石原家ができる前の
夫婦の活動はこちら↓↓↓