二〇一〇年八月十五日深夜。終電が過ぎた後の東京駅のホームに、ダイヤにはない一本の「軍用列車」が到着した。降りたのは敗戦直前、南の海に輸送船ごと沈んだ若き兵士たち。六十五年ぶりに帰ってきた豊かな祖国に、彼らは何を見たのか-


 東京公演が始まった倉本聰さん作・演出の舞台「歸國(きこく)」。戦後十年ぐらいのラジオのドラマ「サイパンから来た列車」(棟田博作)に触発され、倉本さんが長年、構想を練ってきた作品だ


 携帯メールに夢中で声を掛けても無反応な子どもたち、患者が望まない延命を中止できない終末医療、細るばかりの家族の絆(きずな)…。「日本人は幸せといえるのだろうか」という問いが原点にある


 東京公演の前、通し稽古(げいこ)を見せていただいた。<ヒン倖(ひんこう)>という辞書に載っていないセリフが心に響いた。部隊長が祖父からいつも聞かされていた言葉だ。<マズしくて困るヒン困は避けたいが、マズしくとも倖(しあわ)せな生き方は出来(でき)る。俺(おれ)たちの暮らしは元々(もともと)そうだった>


 敗戦から六十五年。私たちの日々の生活は、格段に便利になり豊かさを享受しているが、本当の幸せはそこにあるのだろうか。戦シした若い兵士の目を通じて、考えさせられることは多い


 マズしいけれど幸せな暮らしと、豊かだけれど不幸な生活のどちらを選ぶのか。倉本さんから、究極の問いを迫られているような気がしてならない。


 中日春秋 2010年8月13日筆洗

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