若き歌人には朝鮮民族の未来に漂う暗雲が見えたのだろう。二十四歳の石川啄木は一九一〇年八月の韓国併合の直後、歌を詠んだ。<地図の上/朝鮮国にくろぐろと/墨をぬりつつ秋風を聴く>


 併合条約の締結時、京城は厳戒下に置かれた。抗議の自決も相次いだが、反対する民衆の動きは徹底的に抑え込まれた。一方、お祭り気分の日本国内で、ちょうちん行列が繰り出され、群衆は「万歳」を叫んで練り歩いた


 植民地になると、朝鮮語は禁じられ、日本語の使用が強制された。日本式氏名の強要など同化政策が徹底された。六十五年前の八月十五日は、朝鮮の人々には「解放」の日だった


 韓国併合からちょうど一世紀。菅直人首相の「首相談話」がきのう閣議決定し、発表された。三十六年間に及んだ植民地支配を「韓国の人々の意に反して行われた」と位置付けて、「痛切な反省と心からのおわび」を率直に表明している


 「謝罪外交」と批判する声は自民党だけでなく、与党の中にもあるが、「歴史に対して誠実に向き合いたい。自らの過ちを省みることに率直でありたい」と歴史認識の問題を正面から受け止めようとした姿勢には共感した


 啄木が百年前に墨を塗った国は、日本から解放された後も、民族同士がコロし合う内戦を経て二つに分断されたままだ。啄木だったら、今、どんな歌を詠むだろうか。


 中日春秋 2010年8月11日筆洗

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