八月は一番、水が恋しい季節だ。たっぷり汗をかいた後、ごくごくやって渇きをいやせば、自然に「ああ生き返った」などと大げさな言葉が口をつく


 三年前に亡くなった作家の亀沢深雪さんは生地広島で原爆被害に遭った。その体験を綴(つづ)った代表作『広島巡礼』には、全身焼けただれた瀕シ(ひんし)の妹が水をほしがる場面が何度も出てくる。だが、病院で「水をやったらシぬぞ」と言われ、亀沢さんも母親も、こらえた


 <しかし妹は水を欲しがった。それはもう見ていられないほどだった…しきりに水を欲しがる妹に、「水を飲むと傷が治らんけんね」と言い聞かせたが、しまいには、「我慢しんさい」と怒るように言うしかなかった…>


 結局、妹はやがて息を引き取る。もちろんあの注意を信じ、何とか助けたくて心を鬼にしたのだ。それでも、水を与えなかったことは亀沢さんに強い悔いとして後年まで残った。別の作品でも、後悔の言葉を繰り返している


 多くの被爆証言で、水をめぐる同じような話が語られている。街中でも、あらゆる水場で人が山のように重なって亡くなっていたという。その焼きつくような渇きを思えば胸がつぶれる。そして、愛ゆえの自制を後悔として抱え続ける家族らを思えば…


 今日は、広島原爆忌。きっとまた水が恋しい暑い暑い一日になる。<想ひ起こすことが供養の原爆忌>石山佇牛


 中日春秋 2010年8月6日筆洗

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