指の中でも親指は特別な存在だ。かのニュートンなど「他に何の証拠もなくても、人間に神の存在を確信させるには親指だけで足りるだろう」と言っているほど(W・ソーレル『人間の手の物語』)


 確かに、唯一、掌(てのひら)から横に突き出し、四本から独立しているのに、どの指とも自在に連携できることで、手全体をリードし、機能をまとめあげている。親指を立てる仕草が、わが国で組織のトップなど「ボス」を示すのは、ある面、的確だ


 昨日、退陣表明した鳩山首相が前日夕、進退を協議した小沢民主党幹事長らとの会談から出てきた時、見せたのも、その仕草だった。これには「大丈夫」や「うまくいった」などの意味もあるから当然、政権は「大丈夫」の意と受け止められた


 だが、実際は既に退陣を決めていたそうで、ご本人は後で「心中を隠した」と。しかし、自分が小沢幹事長に辞任をのませたと“手柄”のように強調するところから察するに、その話が「うまくいった」ことを、何とかにじませたいとの欲求を抑えられなかっただけ、という気もする


 小沢さんが事実上のボスと見られていたのは確か。あるいは、政権という一つの手に二本の親指があったことへの、鳩山さんなりの鬱憤(うっぷん)の表明だったのかもしれない


 何にせよ、この国にはいいかげん、しっかりとした親指が必要だ。一本で事足りる親指が。


 中日春秋 2010年6月3日

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