東京オリンピック開催に関して様々な意見が飛び交う。

 

1964年の東京オリンピック

私の幼いころの記憶をたどると一番の記憶はマラソンのアベベ選手。そして重量挙げの三宅選手等々。当時の日本は高度経済成長の真っただ中。新幹線が開通するなどインフラも画期的に整備されていった。エコノミックアニマルと揶揄された日本国民、それでも暮らしがどんどん良くなるという躍動感を感じてた。

 

社内で時折この夏の東京オリンピックのことが話題になる。1964年に生きていた者は私だけ。全員が開催に関しては消極的。第一の理由はコロナ禍がまだ終息していないこと。しかし2005年に地元瀬戸で開催された「愛地球博」も見にいかなかったらしい。「もの」だけが豊かになった時代背景。万博は彼らの興味の対象外だった。そんな意識も働いているかもしれない。1964年当時とは全く時代背景がちがうのだ。

 

オリンピック憲章

このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。

 

この項は世界の人々にとって大変深い意味を持っていると思う。コロナとは関係なく進む非民主主義を目指すリーダーが表舞台に現れてきていることが悲しいけど現実、、。

 

民主主義って何だ?

単に多数決で進むべき道を決めるということではないと思う。少数の意見にも耳を傾けること。例え少数意見でも多数派が力づくで押さえ込んでしまうような組織は民主主義とは言えない。

 

思い出した

アベベ選手が活躍したその直後友達同士で裸足でゴールする姿を真似て英雄をたたえたことを。(東京オリンピックの時は靴をはいてました)そこに肌の色に対する差別意識は一切なかった。子ども心にアベベはカッコよすぎる存在だった。日本は民主主義の国だったはず。原点に立ち返ってオリンピックのことを考えていきたい。

 

 

画像は笹川スポーツ財団のHPからお借りしました。