自分の強みをアピールしないのが謙虚です。
自分の弱みをアピールするのが卑屈です。

他人を見下さないのが謙虚です。
自分を下げてしまうのが卑屈です。

不躾にならないのが謙虚です。
遠慮してしまうのが卑屈です。

謙虚とは「しないこと」、卑屈とは「すること」。
卑屈にアクションはありますが、謙虚にはアクションがないんです。
アクションの見える卑屈はその場で他者に伝わりますが、アクションの見えない謙虚さは一日や二日続けたくらいでは他者に伝わりません。
一年二年、もしかしたら五年十年と「しないこと」を続けて、やっと謙虚さが伝わるのです。

何かをすることよりも、何かをしないことを続ける方が遥かに難しい。
「しないこと」を続けることができる人は、他者の承認を必要としない真性の謙虚さを持っている人なんです。
承認欲求が由来の見せかけだけの謙虚さではなく、他者の承認を必要としない本物の謙虚さが「しないこと」に出るんですよ。
(DJあおいさんの記事より)

人々との関係の中にあるかぎり、誰かに金を与えたり、ものを教えたりという行為はつねに何らかの成果や矛盾を生じる。

 

どんな小さな慈善でも、その結果や相手との間に生じる感情にはお互いの社会的な立場が関わってくる。

 

感謝や評価を求めないことは、感謝や評価を得るために善行を行うのではなく、善行そのもののために行うという意味である。

 

しかし同時に、善行をなすという自己の満足のみに執着し、自分の行為の結果を問題にしないということでもある。

 

本当に困難なのは感謝や評価を問題にせず善行を施すことではなく、

 

『自分の行為が相手にとってどういう意味を持つか、本当に必要とされている行為なのかどうかを正しく理解して実践すること』にある。

・親が自分の感情を受け入れて、言葉にする。
・怒りや痛み、恐れに立ち向かい、責任を持った行動をとる。
・自分について前向きな発言をする。
・子どもの感情を大切なものとして認め、評価を下さない。
・自分の感情を前向きに表現することを教える。

(『子どもに変化を起こす簡単な習慣』バーバラ・コロローソ より)