料理人HachikoのBuona giornata ~イタリアで深呼吸~ -2ページ目

料理人HachikoのBuona giornata ~イタリアで深呼吸~

 ☆イタリア料理に魅了され、現地イタリアで、楽しいこといっぱいあって、少しづつ、いろんな経験をし、変わっていく、一人の料理人の成長記録☆

  3年弱、完全に放置して、なんなら、ブログ書いてたこと自分でも忘れかけてましたが。

  この度、イタリアから帰ってきてから、5年働いた、表参道にあるお店を辞めて、
すぐ隣、原宿のお店でシェフとして働くことになったから、ブログも再開ってわけなのです。

昔から、そういう安易な考えからの行動ってのは、我ながらかわんねーなぁーと、感心するところです。


正確に言うと、7月からなのですけど、それだけやる気に満ち溢れてるのです!

ここで、偶然見かけてもらって、食べにきてくれてりなんかしたら、楽しいなって期待も含めて、早速お店の紹介!

http://s.tabelog.com/tokyo/A1306/A130601/13155787/


お店の名前は『ALA』

カジュアルなイタリアンで思いっきりオープンキッチン!  
個人的にも好きなお店で行ってて、結局働くことに(^-^)

しかも、そこのお店っていうのは、以前ブログでも書いた、イタリアで奇跡的に再会した、地元の先輩がやってるお店なんです!!

ブログの奇跡体験 インクレディービレってとこ読んでもらえてら、奇跡具合がわかるので、よろしかったら見てくださいね(^-^)



さてさて、たまにはコックさんらしく料理系の話でも。


料理っていっても、なかなか幅が広くて、何からどう手を付けてよいのか、わかりませんよねー。


わかります。 だから、最初っからちょっとずつこれでもプロとして、話してみようかなと思います。



その第1回目としてのテーマは。


レシピ。 (イタリア語で言うと、リチェッタ。)



さぁ、何かを作ろうっていうときに、やっぱりほとんどの人が頼りにするのが、このリチェッタ。


まったく作り方がわからなくても、これさえ読んでしまえば、なんとなく作れちゃう全くもってありがたいものであります。



でも、やっぱり、思った通りできない。料理上手な人は、リチェッタ読んでもないのに、上手にできちゃう。


そんな経験、印象をうけることも少なくないと思います。  



なんでだろ???



さぁ、当たり前だけど、単純だけど、大切なことを話しましょう。



結論から言うと、


「リチェッタというのは、あくまで設計図。」


だからです。



たとえば、家を作るとき、設計図を見ても、仮に大まかな作り方が書いてあっても、おそらく


雨漏りをしないきれいなおうちを建てることはできないでしょう。


当たり前だし、極端だけれども、料理も似たようなもの。



料理のリチェッタにも、隠されたコツみたいなのが、いっぱい隠されているのです。



それをちょっとでも知ってるか、知っていないかで、料理上手になれるか、そうでないかが決まってくる。


プロの料理人や、料理上手の人は、そのコツを知っているのです。



しかも、そのコツっていうのは、いろんな料理に共通して言えることで、それさえ知っていれば、


冷蔵庫の中にあるもので、ちゃちゃっと作るのも、簡単にできちゃうんです^^



プロのイタリア料理人は、和食作らせても、結構おいしいの作れちゃうのは、そのせいです^^



ってことで、次回に続く^^



昔、インストラクターやってたとき、

昔、店長をやってたとき。

そして、今、シェフとして。


常に自分に付きまとう、教えることの壁。


今日もやっぱりその事に対する、自己嫌悪におちいる。


間違ったことを言っているつもりはない。自分の中では、愛を忘れずにいるつもり。 ネガティブになっているわけでもないんだけれども、やっぱり、人を叱るって言うのは、物凄く苦しい。

どんなに愛をもって叱っても、それが、その張本人にしてみれば、ただ怒られているに過ぎないのかもしれない。


インストラクターのときは、子供たち相手に、楽しく指導して、時に、間違ったことをしたら、叱ってあげる。
自分も経験があるから、わかるのだけれども、小さい頃に大人に叱られたことって心の根っこの部分に強く根強く残る。
だからこそ、正しい考えのもと、愛をもって接する。 だからこそ、子供にはもちろん、親御さん方の信頼も頂いていた。
当時は、俺の天職なんじゃないかと思うくらいに。


店長のときは、今度は上司としての立場。 全く違っていた。
叱るってことが、自分にとって、どんでもないプレッシャーがかかってくることを知った。 だから、誰にも恥ずかしくないように、自信をもって指導してあげれるように、まず、自分ががむしゃらにやった。
結果。
最後に、「俺は、きっと社会に出ても、俺八谷さんのことを思い出したら、余裕で乗りきれると思います。ここで一緒に働けてよかった。」って言われた。

報われた。


そして今。

愛を忘れずに、叱っています。

今は嫌われてもいいって思って、将来のそいつらのために、毎日を厳しく過ごしています。
楽しくやることももちろんあるけど、心のどこかで、気を引き締め続けています。

ただ、正直、いつもそうだけど、きっとみんなもそうだと思うけど、ホントは、嫌われたくなんかないです。
そんなに強くはない。

こんな弱音は吐けないから、
このblogは、単なる弱音blogでした。

すみませんm(__)m

さぁ。弱音もはいたし、明日もがんばろー(^-^)



Android携帯からの投稿

 こんな題名、なんとなく、小っ恥ずかしい感じがするんだけど、


俺のイタリアンなんてお店も流行ってるみたいだし、まぁいいかって事で、俺的イタリアン。



 俺が、イタリアンをつくる上で、頭の片隅にあったり、時には、その考えが主人になって


料理をするっていうようなものが、いくつかある。



 その中の一つが、イタリアンは、あくまで、イタリアの料理だってこと。



 当たり前のことですよねぇ。 でも、ほんとに大事なことなんです。 


 なぜかっていうと、単純。


                   俺は日本人だから。



 日本人の俺にとって、イタリアの料理を作るってことは、あくまでも、イタリア人の真似をする


 言い換えれば、  イタリア人の気持ちになって、イタリアンを作る。



 これができるかできないかは、ほんとに大きな差なのです。



 当たり前のことだけど、日本の食材と、イタリアの食材は、似ててもやっぱり違います。


 だから、日本では、本物のイタリア料理は作れない。なんて某有名シェフの方々が


 言ってるのを、たまに、雑誌で読んだりすることがあります。



 そんな方々の言われていることを前にして、俺みたいなやつが言ってもいいものか


 恐れ多い気もしますが、あえてこっそり言ってみると、、、、



 それはちがくねーか???



 すみません。えらそーに。。。



 でも、そういうからには、根拠があります。




 それっていうのは、仮に、イタリア人が、日本で、日本の食材で、料理をして、


 「Questo e' itariano! (これはイタリアンです。)」って言ったとしたら??



 もう、あ、そうなのね。。。



 って言うしかない。




 イタリア人がイタリア人の考えをもって、作ったものは、それはイタリア料理。



 否定のしようがない、まぎれもないこの事実。だから、俺はそう思うのです。




 だとしたら、やっぱり大事なのは、いかにイタリア人の気持ちに近づけるかになってくると


 思うのです。



 そのためには、やっぱり、イタリアの歴史、イタリアの風土、イタリア人に接したり、


 もちろん、料理についてよく知ったり。 いろんな要素が必要になってくる。



 いろんなコックさんに出会ってきたけど、なかなかそういうのを、考えて料理をしている人は


 ほんとに一握りしかいないし、やっぱりそういう人たちの料理はうまい!




 海外にいって、日本料理を食べて、愕然とするように、イタリア人が日本に来て、そう思うことは

 

 多いと思う。  だからこそ、イタリアを見たこの目を持ってるからこそ、


 イタリア人が認めるような料理を作ったりできたらなぁと思って日々精進です。



 なんだか、自己満みたいな考えだけど、でもやっぱり、お店に来てくれてるお客さんたちは、


 イタリアンを食べに来てるんだから^^




 *補足ですが、今の時点での考えの一部を書かせていただきましたが、


  俺は2年前、1年前、何なら昨日と違うことをいう場合があります。


  それは、いろんな経験によって、起こりうる進化のあらわれと思って、温かく見守ってください^^



  Grazie!