S2 ep 167 ゴジラ-1.0は日本映画ナンバー1だ! | イナギFIVE-0 エアガンライフ

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 ……ゴジラ-1.0は良かった……。

 映画通を自称する私だが、コレ、私的に日本映画ナンバー1だ! ちなみに、これまでのナンバー1は、黒澤明監督の「生きる」。
 
 ゴジラ-1.0については、役者がクサイとか色々と批判もあるが、それを言ったら「生きる」なんて駄作になってしまう。映画は、心で見るものなんだ、自分の中で消化して価値を生じるもんなんだな。

 ゴジラ-1.0については、ラストの黒い影のこともあり、一度じっくり語らなければ、と思っていたが、ここで全て語られていた↓ しかも監督自ら……。


 このゴジラ映画、私の中ではゴジラの印象が非常に薄い。記憶に残っているのは、男たちの姿。主人公もそうだし、雪風の艦長(だっけ!?)、バルーン会社の名もなきいち社員などなど。全体としては、傷を負った男たちの魂の救済の物語であり、勇気をもって明日に進んでいく、人生を全うしようとする人間の姿を描いた物語だと思う。

 終戦直後、さらに怪獣の登場と特異なシチュエーションではあるが、この歯を食いしばりながらも果敢に生きていくという姿は、現代の我々にも通ずるところがあると思うし、そもそも人の生き方として普遍的な姿であると感じた。

 だから主人公の敷島が、最後の最後に典子と再開し、魂が救われた、明るい未来が開けた、となって終わって欲しかった。それが見る側の魂の救済にもなった……はずだったのだが……。

 あの黒い影ね……。

 確かに、敷島や典子には明るい未来はないのかもしれない。みんな放射線を浴びているし、ゴジラもまた来るし、そもそも日本の社会が変貌していく。人情も薄れ、拝金主義、価値観の変化と、彼らにすれば明るい未来の社会とは思えない様なものになっていく。

 それをあの黒い影が表現していたのだと思った。私は。

 しかし、その後、ゴジラが再生していくシーンがあり、明るいと思われた未来にさす黒い影、不安や災厄、それらを象徴するものとしてのゴジラの再生、それで伝わるのではないか? だったら、敷島と典子の再会のひと時だけは、2人にとって幸せなひと時であってほしかったし、見る我々もその幸福感に浸りたかった。たとえほんの一瞬であっても。

 敢えて言うが、あの黒い影の描写が、私の幸福感を台無しにしてしまった。

 
 監督もさ、ゴジラ細胞だなんだと小さいことを考えなくてもいいじゃないか。これだけ素晴らしい映画を作り上げた人なんだから、そんなことをさ……。シン・ゴジラの最後の人型と同じだよね。後味悪過ぎ。映画って記憶に残り、その記憶を反芻しては浸り、大切にして行くものなんだから、後味は大事なんだよ……。

 監督の言うゴジラ細胞があり、典子が感染し、それで生き残れたとするなら、あの辺りにいた何百何千という人が感染してるよね。重症を負った人もみんな再生しちゃうよね。そうか、ゾンビはここからはじまったのか! くらい言ってやるさw

 ネット情報では、監督がここまでバラしたのは続編があるからでは、と言われているが、まあ、これだけ売れてしまえば当然あるよね。続編では前作で助かった登場人物をあっさり殺してしまうという手法があるが(エイリアン3とかアイアンイーグルとか)、続編では冒頭で典子があっさり死んでしまうのだろうか? あるいは、典子がすでに死んでいるところから始まるとか? それは悲しすぎる。本作に感情移入してみた観客をばかにする行為だ。

 初見では、最後の黒い影のショックがあまりに強くて、全体のイメージ、記憶が瓦解してしまった。それを知り、覚悟したうえで、もう一度見てみようと思う。