第27回 昔のこと モデルガンで撃ち合い | イナギFIVE-0 エアガンライフ

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エアガンなどテッポウ遊びの雑感。サバゲ、時々行ってます。



 この間、ふとH君のことを思い出した。中学、高校の頃のテッポウ友達だ。もう何十年も思い出したことなかったのに。


 H君とは中学は違ったが、当時仲間内ではやっていたトランシーバー無線で知り合った。500mWのお遊びのようなトランシーバーだが、使うには申請が必要だった。これで夜仲間内でおしゃべりをして楽しんでいた。いまでいうラインやチャットだね。当時は携帯もラインもない時代だった。


 仲間の中でも私とH君だけがテッポウに興味があり、休みの日には会って遊んだりした。


 当時、昭和55年ころ、1980年ころか、もちろんエアガンはなく(まあSSオートマグやSS9000などツヅミ弾のコッキングガンはあったが)中心はモデルガンだった。私はMGCの44マグナムやパイソン、H君はMGCのコマンダーやウッズマン飛葉仕様などを持っていた。


 高校になると、H君がいった学校でテッポウ仲間ができたらしく、違う高校の私にも撃ち合いのお誘いがかかった。モデルガンで撃ち合い? と思われるかもしれないが、当時はこれしかなかったし、けっこう面白かったのである。


 モデルガンは火薬で発火出来るようになっており、当然、撃ち合いではこの実弾?を使う。撃ち合って、あ、これは当たったなと思えば、自己申告で「当たった〜」というのである。なんと紳士的なことか。ただし、もちろんなかなか死んでくれない人もいて、私が44マグナムを6発撃ち込んでもなおM31ショットガンを3回も4回もポンプして撃ち返してくるツワモノもいた(笑)。それでもなんとなく許す雰囲気があった。


コンバットマガジン1982年8月号、イングラム特集

 ただ、私も茶目っ気があって、当時新発売となったMGCのイングラム ブローバックをお年玉で買って持ち込んだ。建物の陰に固まっている敵4名の所へパッと飛び出して、ダラッ〜〜〜〜〜ッとフルオートを浴びせたっ! みんな何が起こったのかと唖然としていたのを今でも覚えている。


「イングラムはやめようよぉ〜」


 はい、確かに。こっちだって、弾、つまりキャップ火薬を一射で30も消費するのである。たしか、火薬は50発入で300円くらいではなかったか、なかなか大量には使えなかった。また、モデルガンはリアルカートだから、空薬莢が、ぶあ〜と宙を舞うのである。自作のカートキャッチャーはつけたが、穴が空いていて、カートをばらまいたこともあった。今ではなんてことないフルオートだが、当時はエキサイティングだった。


レポートはイチロー・ナガタ

 当時はこの程度の遊びでも本当に楽しかった。


 高校3年頃になると、テッポウへの興味が薄れていたように思う。H君とも疎遠になり、いつしか忘れていった。


 H君の名前を検索してみたが、同性同名は何人かいたが、当人はヒットしてこなかった。


 苗字がH、名前がM、コールサインは64、もし見ていたら連絡下さい。