レビュー
【あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら】

※ネタバレ注意。観る予定でまだ観ていない方は飛ばしてください。

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毎日不満ばかりの女子高生がタイムスリップして戦時中に飛ばされ、一人の特攻隊の男子と出会い、命の尊さや愛や人の優しさや日常のありがたさなどを学ぶ物語。
そこは陳腐。よくあるお話しです。
でも俳優さんたちが良かったのか、
私はずっと泣いてました。観て良かったです。

福原遥さん演じる百合は現代っ子だからあのようにまっすぐに「誰も戦争に行きたくないよね?」「命の使い方、間違っているよね?と疑問を口にできるのですが、それは誰もが本音の中に勿論あると思いますが、それ以上の大義があることを現代っ子は理解出来ない。
もちろん私は戦争を肯定しているわけでは全くありません。
「ああ、それだけじゃないのよ、百合ちゃん」とおばさんは思いながら泣けてしまいました。
日本人にとっては、国の利益のための戦争ではなくて、守るための戦争でした。でも米国から手を入れられた歴史しか知らない多くの人は、「ただ戦争は良くない」だけではなく、「戦争をやりたくない、やるならやりたい人だけでやって。自分には関係ない」と思うなら、なんだかそれもどうなのだろうと思って観ていました。戦争反対なのは大前提です。

松坂慶子さん演じるツルさんはそんな百合を叱りませんでした。
叱るどころか包み込んでいた松坂慶子さんは素敵でした。
そしてそんな百合をやはり叱らず、優しく見守る佐久間彰役の水上恒司さんが姿勢も表情も品があり、将来が楽しみな素晴らしい俳優さんです。
彰は水上さんだからこそ、うんと良かった。
あのツルさんと彰と、特攻隊の仲間がこの映画の恵まれたところだと思います。
弱虫ペダルで今泉くんを演じた伊藤健太郎さん演じる石丸は個人的にとても好き。
彰と石丸の友情もわざとらしくなく演じられていたと思います。

福原遥さんは綺麗な女優さんですね。
何も知らないからこそまっすぐ発言してしまう百合役に合ってました。

さて違和感はところどころにありましたが
1番違和感を感じたのは、彰が百合宛の手紙に「愛している」と書いていたことです。
この頃もう〈愛している〉という言葉を使っていたのでしょうか?

自分を主語にして言うのは、本来の日本語には無い表現で、行動や心の中を表現する言葉はありませんでした。

〈愛している〉が異性に対する恋愛感情に多く使われるようになったのは、近世(江戸末期~明治期)からだそうです。
英語の〈Love〉などの言葉に対する訳語として、〈愛〉という言葉をあてたのだとか。
〈愛〉は、古典の読み方で〈かなし〉とも読まれていました。
つまり本来は〈愛〉と〈哀〉は同じ意味。
「広い意味での〈相手を思う気持ち〉」を〈哀/愛〉といったのだそうです(へー×20)。
ちなみに日本で作られた辞書に初めて〈恋愛〉という言葉が登場するのは、明治20年の仏学塾『仏和辞林』で,amourの訳語として。

初めて「愛している」という言葉が使われたのはいつかわからないのですが
読売新聞に、1897年(明治30年)1月1日~1902年5月11日まで連載された尾崎紅葉の【金色夜叉】には既に使われていました。
でもまだ20歳かそこらの若者が普段口にするような言葉じゃなかったと思うのです。

じゃあなんて書けばよかったのか、私にもわかりませんが。

劇中で、出口夏希さん演じる千江と百合の女子トークが可愛らしかったです。
千江がカーディガン?に隠れるブラウスの胸に花の刺繍をこっそりしているのを百合に見せて、可愛いー💓ときゃあきゃあしているシーンが私は好きです。
あと彰と百合がかき氷を食べるシーンも。

あの百合が咲く丘は本当にあるのですってね。