9月9日に来られなかったので
満月の14日、
九重参りの6回目に行って参りました。
いつ行きましても、とても素敵で
息がしやすく、氣持ちの良い神社です。



何故だか最近わたくしの周りどころか
全体的にイライラとお心に漣(さざなみ)が立っている方々ばかりお見かけしています。

わたくしもこの3~4日、
人の言葉にもやもやする場面が多く、戸惑いました。
でもいちいち引っ掛かっていても仕方がないのです。

大体大して話もしていない人が
私の何を知っていると言うのだろう?
表面だけをその人の都合が良いように見て見下したいならば
させておけば良い。

そしてわたくしはその人の何を知っていると言うのだろう?
表面だけを私のくだらないプライドが満足するように見て、
見下し安心するのは
あまりに薄っぺらで恥ずかしい。

恥ずかしい。

人は自分が弱いところ、隠しておきたいところに障られると
例え切った爪ほどにもない棘であったとしても
過剰に反応するのです。
つまり漣は相手のせいではないということですよね。

些細なことでプンスカしたり、
言い訳したりするのは
エネルギーの無駄遣いです。


大事なことは、ただ我慢して仲良くするのではなく
相手も自分も神聖な存在であると認識することですよね。
自分もですよ?

ひび割れ光線が、何処からかびびびー!と来ているのを
もろ浴びて、バーカバーカと言いあってることに氣付かないとなりません。

わたくしは、氣付いていますか?
自分に言います。
今、そんなことしている場合じゃありません。
そんな時間はありません。


もう少し賢くならないと
美しい風景を見られなくなります。
これから深い色の饗宴が始まりますのに
勿体無いことです。



明日は早起きして
散歩してみよう。
田舎の植物、殊勝じゃないか。
いえ、たまにはね(ニヤニヤ)。