抑、義務教育とは未だ十分な学びを得られない
環境にあった戦後日本において制定された物。
その背景にあったのは鬼畜米英の負け犬根性。
当時の日本人に欠けていたのは教育ではない、
当時の日本人に欠けていたのは生きる力である。
世界中が日本の特攻魂に奇異の目を向けていた、
そして現代日本人ですら時に奇異の目を向ける。
お国の為、天皇陛下の御為に命を散らすという
概念は到底戦争を知らぬ世代は理解不能である。
当時の日本人は軍によって洗脳されていた、
お国の為天皇陛下の御為に命を散らす事は
尊き事であると洗脳されていたのである。
そしてそれに異議を唱える者を異端者として、
抹殺していたのである。
結局日本が敗戦したのは命を無駄にしたから、
何が何でも生きる精神が足りなかったから。
其を誤魔化す為に鬼畜米英として高経長や
義務教育に目を向けさせ国の責任逃れをした。
そのツケを今、我々は支払わされている。
義務教育とは教育を受ける事を国民に義務付けた
物ではなく教育受ける権利を国に義務付けた物。
だが現代日本人の多くは国によって教育を
義務付けられた物だと勘違いしている。
日本が先進国の仲間入りを果たしても未だ
国連の常任理事国いりしない理由の一つは確実に
この間違った考えにあると思う。