会津若松旅行その3 飯盛山!! | 辻明佳のナイフとフォーク

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旅、お料理、ときどき女優。

日新館行って、おいしいおそば食べて。

周遊バス「ハイカラさん」に乗って
見どころ満載の飯盛山へ。
長い一日の怒涛の午後がはじまりました!
photo:01


ちなみにハイカラさんこんなの!
かーわい!


飯盛山のふもとには、いろんな白虎隊関連の施設が密集してます。
どこも17時っちゃあ閉まっちゃうようなとこなので、
まずはそちらから見学。


白虎隊伝承史学館は、
解説が時系列に沿っていなかったり、
解説すらなかったりで
ちょっと雑然とした印象。
それが逆に生々しかったりもして。

手鏡がたくさん展示されてました。

会津藩士は新政府軍に逆賊として敗れたあと、
斗南というところへ移住させられたんだけど、
その際手鏡は持ってけなかったからいっぱいのこされてたいうことらしいのね。

禁じられてたのか、割れるしかさばるから置いてったのかは
書いてなかったのでわからん。
女の人は辛かったろうね。


松平容保が陣を置き
白虎隊隊士たちもここから出陣したという
滝沢本陣の跡地も見学。


茅葺きの建物には
弾痕や刀傷が
もういくつもいくつものこっていました。
photo:02


写真だとあんましわかりやすく撮れなかったしょぼん
柱を貫いてる弾痕もあったなあ。


続きまして、白虎隊記念館へ。

ここではいろんな本人直筆の書が見れたのが印象的でした。
あと近藤勇のはちがね(金属のはちまち)もあったよ。


記念館の学芸員の方が
白虎隊や、白虎隊に砲術を教えていた山本八重について
いろいろお話を聞かせてくださいました。

尽きないお話を泣く泣くさえぎっておいとま。
帰り際
「次はテーマしぼって質問しに来てね!」
とさわやかに言い渡されるうちら。
熱いぜ会津っ子!


さていよいよ飯盛山登山。
もはや「参道」然として仲見世通りみたいになっている
ふもとのお土産屋さんで
無料で手荷物預かってもらえましたニコニコ
弾丸ツアーなので、
みんなお泊まり用の荷物全部持ったままだから助かったー!
日傘までただで借りちゃっていざ出陣!


白虎隊自刃の地までスロープコンベアもあるらしいが
我らそんなものには頼らんぜ!
白虎隊だからな!


と勇んで登りはじめましたところ3分で到着。


ちっ近いっっ


まあまあな山道を覚悟してたのでわりとひょうしぬけ。


みんなで隊士たちのお墓におまいり。


逆賊だからっつって
白虎隊をはじめ会津藩の戦死者たちは
遺体を埋葬することすら許されてなかったんだって。

いたるところにエライ状態になった遺体がごろごろしていたとか。


処罰覚悟でそれらを埋葬したお坊さんや

その後
「じゃ埋葬していいよ、ただし作業員は部落のやつら限定な」
って言われて
自分の手で死者のお弔いをするために
自ら身分を捨てて被差別部落に身を落とした人もいたとか。


よくわかんないけど、すごいことだよこれ。


最近の地震のあとにもしょっちゅう思うことだけど、

生存のためにどうしても必要なものではないんだけど、
それをしないとどうしても自分が「人間」でいられない、
ということが、人にはあるんだね。

尊厳、か。


photo:03


隊士たちが自刃におよんだ場所から見える鶴ヶ城。
めっちゃ拡大してこれ
写真まんなか、なにやら長い棒とどんかぶりの建物がそれ。
ちっっさい。けっこ遠い。


城下町の火事を
お城が陥落して燃えてるのだとかんちがいしちゃった白虎隊士中ニ番隊の隊士たちは
会津藩と運命をともにしようと全員自刃。


ちょ、確認しよ?
お城のとこまでとりあえず行ってみよ?


て言った子はいなかったのだろうか……
とどーーしても思ってしまうけど、
これだけ遠かったらたしかにかんちがいしちゃうかもね……


かなしい。


自刃したものの、たった一人生きのびた飯沼貞吉のお墓も
少し離れたところにありました。

戊辰戦争後は、白虎隊についてほとんど語ることはなかったそうで。

昭和になってから、やっとみんなこの場所に
全員ぶんのお墓をつくってもらえたんだそうです。

どうぞ安らかに。


しんみり下山。
しかし偉大なる飯盛山は、
わたくしどもにしんみりを許さないのでした……!


続く……!