決定的な出来事。調停離婚に至った経緯② | 年子シングルマザーです!

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年子兄妹を育てるシングルマザーです!モラハラ・DV気質の元夫に耐え切れず、1歳、2歳の子どもを連れて別居しました。離婚したいけど何からはじめていいのかわからないところからの調停離婚!当時のことを忘れないための離婚備忘録。日々の子育てのあれこれです。

決定的な出来事。調停離婚に至った経緯①の続き・・

 

まだまだコロナが5類になる前、コロナに対する風当たりの厳しさが残る時期にコロナに感染。

まず、職場に連絡。すると、同じように早退した人が全員コロナ感染していること、他にも休んでいる人が出ていることを知った。もう職場は人手が足りないから開店休業にするよ、自宅待機は5日間、ゆっくり休めと言われた。

 

次に、二人の子どもが通っている保育園への連絡。これが後々まで大変だった。当時の園独自ルールで、濃厚接触者が出た場合は、自身も検査すること、陰性でも濃厚接触者とは完全に隔離した生活を送り、5日間自宅待機。隔離できない場合は、濃厚接触者の

熱が下がってから7日経った日からさらに5日間の自宅待機とのこと。なんじゃそりゃ(笑)ばぁばに持病があるので、実家も頼れない。元夫一人で0歳2歳の子を1週間も見るなんて不可能。完全に後者の最短12日間は自宅待機コースじゃないか!!

 

そして元夫。濃厚接触者にあたる。職場に連絡すると、有給を使って5日間の自宅待機とのこと。土曜日に発症したので水曜日までは休まなくてはいけない。そのことが気に食わないようだ。病院からの帰り道、なんで感染したのか、有給が減ってしまうことをグチグチ言い、機嫌は最悪。

 

これから自宅待機なので、スーパーによって帰った。

その日の夕飯、これから自宅待機になるので、ある程度の食料が欲しかった。

当然熱があるので、私とこどもが車に残り、元夫に買い物をお願いしたが、これも酷かった。何を買えばいいのか、全く分からないから全部言ってと。2歳の息子は同じものが食べれても、離乳食後期の娘は食べれない。作る元気もないので、パウチを買ってきてほしいことや、2歳の子が食べれそうなものを買ってほしいと言ったが、具体的に言えと責められた。売り場の場所が分からないと電話もかかってきた。店員に聞くという頭はないのか。

自分の子どもという意識の低さ、私がいなかったらごはんも食べさせられないのか。なぜ電話で怒られないといけないのか、不満が込み上げた。

 

夜には薬で熱は下がったものの、だるさがあった。声も出にくい。

狭いアパートでできる限り、距離を保つように、寝る部屋を分けたが、ママと寝たい息子・娘は一緒に、元夫は一人で寝た。当然夜中のミルクも起きない。朝も休みだからとゆっくり起きてきた。

 

もう飽きれて何も言う気になれなった。

熱がある私を労わる気持ちはゼロ、濃厚接触者になった自分かわいそうというのが伝わってくる。

自宅待機中に機嫌がこれ以上悪くなられても嫌だ。

耐えるしかない。心の中から潮が引くように感情が無くなっていく。。

 

 

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