(山海塾)の舞踏家、天児牛大(あまがつうしお)さん、亡くなる(74歳) | はーちゃんのブログ

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昔、親族の結婚式で、新郎の兄の友人で、この舞踏なるものを学んでいる人がいて、その場で、パホーマンスを見せてもらったことがある。

階段を上り下りするパフォ―マンスで、器用に、また自然に、やって見せた。よくわからなかったが、こういうことが基本で、あのような、我々凡人から言うと奇異なパフォーマンスにつながっていくのだということのようらしい。

 

 

1972年に、共に、大駱駝艦(だいらくだかん)を創設した、舞踏家で俳優の麿赤児(まろあかじ)さん-81歳-が新聞紙上で彼の死を悼んでいる。

舞踏創始者の土方巽(ひじかたたつみ)に引き合わせ、体一つで森羅万象を表現する舞踏というものの本質をつかんだのが、1978年の(金柑少年)。

舞踏の基礎は土方や室伏こう等が整え、それを完成させ、この舞踏を、世界につきつけた

のが、天児で、彼自らが、(BUTOH)の世界基準になったのだという。

 

 

20代からの盟友である麿赤児さんは、(世界中の人々に美しい記憶だけを残して旅立った、生きるも舞踏、死ぬるも舞踏、幾多の苦難を越え、命そのものを踊りつくしたそのたぐいまれな人生を、今は祝福したい)と、述べた。