尾崎豊の兄、康は5つ上、1960年東京、町田市で生まれた康さんは、幼少期は練馬区で過ごしたが、飛騨高山出身で、自衛官の父
パート勤務の母との間に2人兄弟として弟豊がいる。
埼玉、朝霞市に越すと、豊は学校になじめず、不登校の間に、独学で
ギターを習得、元の練馬の中学に戻ると、バンドを組み、大勢のフアンが付き、大活躍!高校は青山学院合格、高校では無期停学、中退し渡米、(十代の若者のカリスマ)となる。
このころ、兄康さんは、早大法学部に進学、薬物使用で有罪になった弟豊を見て、33歳で司法試験に合格してから、少年問題や青年の悩みに対して力を入れてきた。
現在は、埼玉県弁護士会会長であり、弟の死から、身を入れて司法の勉強に実を入れてきた。
強烈な上昇志向を持ち、常に自分を変革したい尾崎豊、!吉岡秀隆は(シェリー)を聞いて感激、彼が亡くなった時には弔事を読んだ。
葬儀には、参列者は約4万人、美空ひばり、吉田茂に匹敵するものとなった。
友人には、吉川晃司、高橋克典は、青学の1年先輩、バレーボールの中田久美とは、中学の同級生、前述吉岡は、青学の2年後輩。
東京、渋谷には、(渋谷クロスタワー)3階テラスに、(尾崎豊記念碑)
が、1995年に完成、尾崎さんの顔のレリーフと代表曲の一つ、(17歳の地図)の歌詞が刻まれている。
(生きる勇気をありがとう!)、(これからも強く生きるよ!)、(心の弱さに負けない!)など、今なお、フアンの心をつかんでいる。