峠を越えたい

峠を越えたい

戻るより未だ見ぬ向こうへ

 以前、読売新聞日曜版文化欄の『どっち派?』では種田山頭火と若山牧水を採り上げていました。その中で若山牧水については、人気のある歌として5つが載っていました。記されている順に挙げます。

   A:白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

   B:幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

   C:けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く

   D:白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

   E:多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし

 その昔は中学、高校の教科書に必ずと言って良いほど牧水の歌は、とくにAとBは採り上げられることが多かったようです。最近は如何なんでしょう。これらの歌の内、歌った場所の記されている本がありました。地図好き者にとっては心躍ります。『若山牧水 伊豆・箱根紀行』(伊豆・箱根名作の旅1、岡野弘彦監修、村山道宣編集、村上敦彦発行者、木蓮社)より、「解説 須永秀生」のところです。

 “幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく

牧水二十三歳の夏に、広島との県境、岡山県哲西町二本松峠で詠まれた歌で、牧水の歌の中では最も著名な作品であろう。沼津市の千本松原の歌碑、二本松峠などの歌碑としても知られるこの歌は、二本松峠の茶屋『熊谷屋』から、東京の友人、有本芳水に送った葉書の末尾に書き添えられた歌と言われる。当初この歌は、「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ國ぞ今日も旅行く」となっていた。………この歌は、牧水が早稲田大学在学中、宮崎へ帰郷する旅の途次で生まれたものであった。………………”。

「てっせいちょう」と読み、『哲西町』(Wiki.)を引用します。

 “哲西町(てっせいちょう)は、かつて岡山県の西北部(阿哲郡)にあったである。広島県と境を接していた。現在は合併により新見市の一部となり、町役場は新見市役所哲西支局となっている”。

 新見市と言えば伯備線の主要駅且つ姫新線の終点のJR新見駅から探せそうです。更に(哲西町の)「地理」が、そのあとに書かれています。

 “吉備高原の西部、中国山地の南部に位置し高原と山林で占められていた。中東部には西の尾瀬と呼ばれ、国の天然記念物に指定されている鯉ヶ窪湿原(鯉ヶ窪湿生植物群落)がある”。

 それではGoogleマップで、新見市を訪ねますが、鯉ヶ窪湿原を頼りに。

 若山牧水歌碑まで示してくれました。芸備線の東城駅と野馳(のち)駅の間に岡山・広島県境が通っていて、この県境(分水嶺)が二本松峠なんでしょう。更に探して、ありました、『若山牧水歌碑・二本松公園』(新見市観光協会ホーム>にいみフィルムコミッション>若山牧水歌碑・二本松公園)です。その説明文です。

  “備前、備後の国境跡

江戸時代の備中・備後(現在の岡山県新見市哲西町・広島県庄原市東城町)の国境にあたり、「二本松御番所」と呼ばれる番所がおかれていた二本松峠。
 当時はその名の由来ともなった大きな二本の松があり、駄菓子屋、旅龍茶屋などが立ち並ぶ小さな宿場のような趣があったそうです。
 現在は2本の松のうち1本「すえひろの松」が残っており当時の面影が残されています。
  若き日の歌人 若山牧水がこの地を訪れた際短歌を詠んでおり、その時詠まれた歌の歌碑が建てられています。
 「けふもまた心の鉦をうち鳴らし
      うち鳴らしつつあくがれていく」
 「幾山河越えさり行かば寂しさの
      はてなむく国ぞ今日も旅ゆく」
 当時、牧水が宿泊した宿「熊谷屋(くまたにや)」も現在は復元され、二本松公園が整備されています
。”

 この公園に「熊谷屋」の説明看板もあるようでそれも掲げます。

 ここに面白いことが書かれています。有本芳水宛ての葉書に記された歌2首は、暮坂峠越えの情景を二本松峠の茶屋、熊谷屋にて詠んだものと言われているそうです。暮坂峠は群馬県吾妻郡中之条町にあって、草津温泉に近い(その東の)峠です。この峠にも牧水の詩碑があるらしいです。

 何処の情景かは別として、二本松峠の茶屋でCの歌も詠まれたんですね。“………こころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつ”で思い出しました、グレープの『あこがれ』の歌詞を。

 “……あこがれてゆくの/ずっとこれからも/こころの鐘をひとり打ち鳴らしながら/………

 さだまさし氏のことだから牧水の歌を採り入れたことは十分に推し量れます。歌の名と歌詞とに織り込んだのだとしたら、心憎いです。『異邦人』ではカミユ著『異邦人』の“太陽が眩しいから”を引用したり、『檸檬』では梶井基次郎が意識されたり。『つゆのあとさき』は永井荷風の小説から題名を考えたかも知れない。彼には『銀河食堂の夜』なる小説があり、『セロ弾きのゴーシュ』という歌もあります。

 さて若山牧水は43歳で亡くなりました。大酒家で肝硬変が原因らしいです。沼津に引っ越してきた最初の借家は上香貫黒瀬にありました。香貫山の麓、狩野川の直ぐ近くですが、その昔私は上香貫二瀬川に1年半ほど間借していました。牧水の旧宅跡とか何とかの案内板があった記憶があります。その時は気にも留めなかったのが悔やまれます。何十年ぶりかに上香貫の地を訪ねども、それは見つかりませんでした。