先日、PTAの研修で東北の被災地数カ所を回ってきました。
そのまとめ方を検討する日々。
出会った人々の言葉を聞き返していると(テープ起こし)
これは何らかの形で伝えなくてはいけない気がして、
そもそも研修に行くことになったのも脈絡のない経緯だったので
縁かなと感じています。
で、考えるほどに意識が向くことが、
PTAの発表の場ではおそらく触れにくいことだったので、
ここに書いておきます。
「自分なんかが生き残って、本当に申し訳ない」という人が居ました。
一方で
「こぉーまかい(細かい)事気にしてても仕方ね。前向かねと」という人が居ました。
お話をしてくださった方のほとんどが3・11において地獄を体験した方々です。
大事な人を無くした。
1分1秒の判断が生死に繋がる現場をくぐり抜けた。
町を歩くと死体の山だらけなので歩くのが嫌だった。
そんな体験をした人に、
「前向きになれ」なんて言葉、かける気は毛頭ありません。
ただ「自分なんかが生き残って申し訳ない」という言葉に、
どうか、生き残ったご自身の命に価値を見出して欲しい、と感じる時、
「こぉーまかい事 気にしてても 仕方ね」と笑う人の在り方が、頭をよぎります。
沖縄戦を経験したオバァの「なんくるないさー」と、同じ印象でした。
どっちがいい悪いではありません。
在り方を評価したいのではありません。
表現は真逆でも、表裏一体、一緒なのだとも思います。
自分自身は、そうなった時、どっちの言葉を発しているだろう。
今をちゃんと生きているだろうか、
私は自分の命の価値を感じて、日々生きているだろうか、と考えました。
町おこしもそれぞれでした。
津波に対して頑丈な防波堤を建設して海が全く見えなくなってしまった町。
町自体はまだ埋め立ての段階で、荒涼とした景色が続いていました。
一方で
「海が見えなければオナガ(女川)じゃね」
と防波堤を一切作らずに、海を望む観光地としての町おこしを展開、若者を中心にどんどん発展している町があった。(女川町)
全てを破壊した海という脅威に対し、閉ざすのか開くのか。
愛する人々の命を奪った海に対して、
なぜ心オープンでいられるのだろう。
人間のミラクルと思います。
どっちがいい悪いではありません。
どちらも必死に生きる姿です。
恐怖をベースに動くのか。
希望をベースに動くのか。
憎むのか、許すのか。
意識をどこへ向けたのかの違いで、
5年経った今、
目に見える物質化されたものの「違い」が、
あまりに顕著であることを感じました。
東北で出会った人々の姿が、私に問うのは
「お前は何に目を向けて生きるのか、何を選択して生きるのか」
ということだったと思います。
亡くなった方々へ心からご冥福をお祈りします。
今回東北でお会いしたすべての方々の、
生きる勇気、命への誠意に敬服し、感謝を伝えたいです。
そのまとめ方を検討する日々。
出会った人々の言葉を聞き返していると(テープ起こし)
これは何らかの形で伝えなくてはいけない気がして、
そもそも研修に行くことになったのも脈絡のない経緯だったので
縁かなと感じています。
で、考えるほどに意識が向くことが、
PTAの発表の場ではおそらく触れにくいことだったので、
ここに書いておきます。
「自分なんかが生き残って、本当に申し訳ない」という人が居ました。
一方で
「こぉーまかい(細かい)事気にしてても仕方ね。前向かねと」という人が居ました。
お話をしてくださった方のほとんどが3・11において地獄を体験した方々です。
大事な人を無くした。
1分1秒の判断が生死に繋がる現場をくぐり抜けた。
町を歩くと死体の山だらけなので歩くのが嫌だった。
そんな体験をした人に、
「前向きになれ」なんて言葉、かける気は毛頭ありません。
ただ「自分なんかが生き残って申し訳ない」という言葉に、
どうか、生き残ったご自身の命に価値を見出して欲しい、と感じる時、
「こぉーまかい事 気にしてても 仕方ね」と笑う人の在り方が、頭をよぎります。
沖縄戦を経験したオバァの「なんくるないさー」と、同じ印象でした。
どっちがいい悪いではありません。
在り方を評価したいのではありません。
表現は真逆でも、表裏一体、一緒なのだとも思います。
自分自身は、そうなった時、どっちの言葉を発しているだろう。
今をちゃんと生きているだろうか、
私は自分の命の価値を感じて、日々生きているだろうか、と考えました。
町おこしもそれぞれでした。
津波に対して頑丈な防波堤を建設して海が全く見えなくなってしまった町。
町自体はまだ埋め立ての段階で、荒涼とした景色が続いていました。
一方で
「海が見えなければオナガ(女川)じゃね」
と防波堤を一切作らずに、海を望む観光地としての町おこしを展開、若者を中心にどんどん発展している町があった。(女川町)
全てを破壊した海という脅威に対し、閉ざすのか開くのか。
愛する人々の命を奪った海に対して、
なぜ心オープンでいられるのだろう。
人間のミラクルと思います。
どっちがいい悪いではありません。
どちらも必死に生きる姿です。
恐怖をベースに動くのか。
希望をベースに動くのか。
憎むのか、許すのか。
意識をどこへ向けたのかの違いで、
5年経った今、
目に見える物質化されたものの「違い」が、
あまりに顕著であることを感じました。
東北で出会った人々の姿が、私に問うのは
「お前は何に目を向けて生きるのか、何を選択して生きるのか」
ということだったと思います。
亡くなった方々へ心からご冥福をお祈りします。
今回東北でお会いしたすべての方々の、
生きる勇気、命への誠意に敬服し、感謝を伝えたいです。