この前の記事 で、「私=エゴ」は物語を作る、と書きました。


「良い」とか「悪い」とか勝手に現実に対して話し始めちゃうわけです。


例えば。



ばかりに


振った


あの言葉



言った



というセンテンス(!)があったとします。一見、なんの変哲も脈絡もないセンテンスです。
(ちょっと意図が見えますがそこは、気づかないふりです)



ですが、「私=エゴ」にかかると、これが!


【私】が【あの言葉】を【言った】【ばかり】に【彼】は【私】を【振った】に違いない


なんて、月9のワンシーンのようなストーリーを作ります。


実際には何もつながっていないのに、「わざわざつなげて」とにかく物語をつくる。
まるで売れない作家がとにかく文章を物語を紡ぎ出すのににてるかもしれません。


この時。


【私】が【あの言葉】を【言った】【ばかり】に【彼】は【私】を【振った】に違いない

には、何の意味のかけらもありません。


「え!?そんなはずはないでしょ!ちゃんと意味通ってるじゃないか。私もそんな経験あるし・・・」
と思った方。

それが、「私=エゴ」の罠です。


実際のところ、【ばかり】【彼】【あの言葉】【振った】【私】【言った】はバラバラです。


ニュートラルっていってもいいかもしれません。


その単語の中に、<が>だの、<を>とか<に>とか適当にくっつけただけです。


言ってみれば言葉あそびみたいなもんです。この程度では、笑点の大喜利では笑太師匠から
とてもじゃないですが座布団はもらえません。いや、座布団をぶつけられるかもしれません。


でも、わたしたちが日常やっているのは大体こんなとこです。


見たこと、聴いた言葉、思ったこと、気持ちなんかを、勝手に並べ替えて、適当に「てにをは」
つけて、物語つくっちゃあ一喜一憂してる。それで疲れちゃったりするわけです。


「私=エゴ」はつなぎ上手です。


時々、つなぎそうになってるのに気づいたら「ストップ!」と心の中で叫ぶのもいいです。


そうすれば、つまらない物語は始まらないし、笑太師匠から座布団をぶつけられることも
ありません。