あらすじ
東京・中野に弁護士事務所を構える佐方貞人のもとに、警察から一本の電話が入った。さきほど逮捕した男が、佐方を弁護人に指名しているという。男は大学時代の同期・久保利典で、行きつけのクラブの女性から不同意性交等罪で訴えられたらしい。無実を主張する久保を信じ、事件の経緯を調べはじめた佐方だったが、女性が久保を嵌める動機が見当たらない。隠された接点があるはずだと二人の過去を探るうち、約20年前に香川で起きた、ある石職人の死亡事故が浮かび上がる。


ひと言
ある程度大筋は読めたものの、先が気になってけっこう一気に読みました。昌の動機としては児玉勝也に対してならさもありなんとは思いますが、少し関係しただけの久保利典に対してそこまでする!?とは思ったものの、楽しく読ませてもらいました。

三人のあいだに沈黙が広がったとき、遠くから女性の声がした。「先生」佐方と一緒にいた女性だ。名前はたしか小坂だったはずだ。こちらに向かって駆けてくる。小坂は佐方のところまでやってくると、立ち止まった。「小坂、どうだ」佐方が訊ねる。小坂は呼吸を整えながら、佐方に言う。「はい、いらしてます。正面玄関の前で待ってもらっています」小坂の返事を聞いた佐方は、晶に向き直った。「晶さん、あなたに会いたいと言っている人がいます」晶は目を伏せた。いまの自分に会いたい人なんて、おそらくマスコミの人間だろう。彼らに話すことはなにもない。私は会いたくありません、晶はそう言いかけた。しかし、その言葉を遮るように、佐方がその人物の名前を言う。それを聞いた晶は、自分の耳を疑った。聞き間違いだろうか。「あの――もう一度言っていただけますか」晶は佐方に頼んだ。佐方がもう一度、こんどは先はどよりゆっくりと言う。「藤本蒼汰さんです」晶は声を失った。どうして別れた蒼汰が、自分に会いたいと言っているのだろう。復讐をしようとしたかつての恋人を責めに来たのだろうか。人でなし、悪人、と罵りに来たのだろうか。「私、会いません。いえ、会えません」怯えからか怖さからか、足が震えてくる。俯いた晶の顔を、小坂が覗き込んできた。「藤本さん、今回の事件の真相を知って、本当の晶さんと話がしたいって言ってるんです」本当の私―― いったいどういう意味だろうか。ゆっくり顔をあげると、小坂と目があった。小坂は丸い目で、晶を見つめた。「最終弁論のあと、先生は藤本さんに会いに行ったんです。晶さんがどうして銀座の店に勤めていたかを説明しに」晶は驚いて佐方を見た。佐方は困ったように頭を掻きながら言う。「藤本さんは、あなたが秘密を抱えていたことが許せなくて婚約を破棄したと言っていました。でもそれは、晶さんにはどうしても話せない事情があったからです。藤本さんを騙そうと思って黙っていたわけじゃない。その誤解だけは解いておきたいと思って、会いに行きました。余計なことだとは思ったんですが、すみません」佐方が晶に頭をさげる。どうして弁護人が、被害者のために動くのだろう。その疑問が顔に出ていたらしく、小坂が横から説明した。
「うちの先生、こういう人なんです。一文にもならないことでも、真実を明らかにするために動く人なんです」「真実 ――」佐方は俯き加減につぶやく。「事実と真実は違います。目に見える事実だけではなく、事件の動機―― 真実がわからなければ、本当に事件が解決できたとは思いません。私は藤本さんに、この事件の事実ではなく、真実を知ってほしかったんです」佐方を見つめる視界に、小さな影が映った。その影は次第にこちらに近づいてくる。
(第十四章)