あらすじ
救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とは――。過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ! (2025年本屋大賞 第4位)


ひと言
読み終えてぼんやりとは分かっていた言葉ですが禁忌という言葉について調べてみました。禁忌(きんき)…社会的な慣習、宗教、医療などの理由から「してはならない行為」や避けるべきこと(タブー)。医療における禁忌…患者に害を及ぼす可能性があるため、薬剤の使用、治療、検査、看護ケアなどを行わない理由となる状態や状況を指します。言い換えれば「実施してはいけないこと」であり、患者の安全を守るための重要な指針。
すごく重苦しい内容の本でしたが、先が気になって結構短時間で読み終えました。武田 航と中川 信也についてはさもありなんとは思っていましたが、絵里香おまえもかとビックリの結末。城崎 響介の合理的な思考は、東野圭吾さんのガリレオ(湯川 学)に似てこれからも人気が出そうな予感です。

「じゃあどうする」「警察の手法は、状況証拠や証言を集めて結論を導き出す、いわば帰納的な手法といえる 。僕らはその方法ではかなわない。だから、背理法を使う」久しぶりに聞いた言葉だった。「背理法、って懐かしいな。高校数学以来やないか」「まさに。どんなやり方をするか、覚えてる?」「俺を試してるんか?えっと、『ある命題Aが真であることを 証明するために、まずAが偽であると仮定する。仮定した偽を証明する 過程で 、矛盾が生じた場合、逆に命題Aが真であることが示される』。こんな話やったな」「大正解」城崎は楽しそうだ。教師の前に座った生徒のような気分だった。「まず、今回の証明すべき命題は何になる?」「そうか。命題は、『キュウキュウ十二と俺との間に、隠された関係はない』や」「ご名答。じゃあ、『偽』は?」導き出される結論に気付き、深く息を吸い込む。「『キュウキュウ十二と、俺との間に、隠された関係がある』」「その通り。だから、僕らは偽を証明するために、キュウキュウ十二じゃなくて、君の身辺を調べていけばいいんだ」戸籍を確認しろ、と言われたのはこのためだったのか。確かに 、キュウキュウ十二の身元を追うより、自分のルーツについて探るほうが遥かに簡単そうだ。
(第一章 発端)

「さぁ、これで③の可能性も潰(つい)えた。全ての場合を網羅したね。Q・E・D。証明終了だ」「は?いや、ちょっと待てよ。どういうことや?犯人がまだ、わかってへんやないか」「背理法だよ、武田君」整った顔が崩れて、城崎の紅い唇が笑う形に歪んだ。「命題を証明する過程で矛盾が生じた場合、命題そのものが偽であることが示される。つまり、京子先生が殺された、という仮説そのものが偽なんだ。京子先生は自殺したんだよ」
一瞬時が止まる。まさか。「いや、そんなアホな話ないやろ。俺に直後に会う予定なのに、死ぬわけない、ってお前も言ってたやないか」「『不可能なものを除外していって残ったものが、いかにありそうもなくてもそれが真相なんだ』って、ある名探偵が言ってたね」「ホームズか」「正解」城崎はくすりと笑った。
(第五章 真実)


これを見てください、と蒼平は一冊の本をデスクの引き出しから取り出した。タイトルを見て、より胸が苦しくなる。示されたのは、非配偶者間人工授精で産まれた子供を追ったルポルタージュだった。「母は亡くなる前、熱心にこういった本を読んでいたようなんです」蒼平が開いたページに、黄色の蛍光ペンでマーカーが引かれていた。
我々は、子供を持ちたいという夫婦の願いを叶えることばかりに気をとられていて、産まれてくる子供たちの権利を、人権を、あまりにも蔑(ないがし)ろにしてきたのではないか。
強調された活字を見たまま声も出せずに、束の間、押し黙る。「昔は、ドナーの情報を伏せるのが当たり前でしたし、私もそれが当然だと考えていました。子供の知る権利が取り沙汰されてからドナーが激減したと聞いて、私はそれみろ、ややこしいことを言いだしたからだ、残念なことだ、なんて ―― 恥ずかしい話ですが ―― 思ってしまってさえいたんです」そうですか、とようやく相槌を打ったが、自分かどういう顔をしているのかは分からなかった。「本には、非配偶者間人工授精で産まれた子供の悩みや苦しみが克明に書かれていました。親と血が繋かっていないことを知った時のショック。生物学的ルーツがわからないことがどれだけ不安にさせるのか。それに……知らぬ間に兄妹を愛していないかを恐れるさまが。実際に、兄妹で結婚し、子供ができた後に事態が発覚した事例の報告すらありました」俺たちだけではなかった。その兄妹はどうしたのだろう。そのまま一緒に生きていくことを選んだのだろうか。俺たちのように。「だから母は、昔のカルテやドナー情報をデータペースに整理していたんです。いつか子供が訪れたとき、思いに応えてあげられるように。それが、母にできるけじめだと、そう考えていたみたいですね」
(終章 蜻蛉)