あらすじ
「旅をすれば小説が書ける」と信じて10年。ところがある日、小説が書けなくなった。さあ、どうする?! 数々の新聞や雑誌に寄せたエッセイより、旅にまつわる作品を精選。『何も持たず存在するということ』に続く人気作家のエッセイ集第2弾!
ひと言
私が角田 光代さんの本を読むきっかけになったのが、今からちょうど20年前の2004年の直木賞受賞作「対岸の彼女」の中の「……。ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」という言葉に出会ったからでした。なんか雷に打たれたような言葉で、2010年1月にこのブログを始めてからは、どうしてもこの言葉を書き残しておきたくて2010年3月に「対岸の彼女」を読み直してブログを書いたくらいです。今でも角田さんの本を読むときには、いつも心に刺さるようなフレーズを探すのを楽しみにして読んでいます。今回も素敵なフレーズに出会いました。引用しませんでしたが、なぜこの本の題名が「水曜日の神さま」なのかの話にもほっこりさせられました。角田さんありがとうございました。
ミャンマーの田舎町で、ホームレスが暮らす場所を歩いたことがある。親しくなった宿の人が、連れていってくれたのだ。ホームレスたちは材木と葉っぱで家を造り、めいめい暮らしている。宿の人の知人の家にあがらせてもらった。本当にちいさな家である。四畳半くらいの一間しかない。そこに家族で住んでいる。家具も、台所も風呂もトイレもない。仏教徒なのだろう、祭壇だけがある。この狭い場所に、宿の人と私と、家の持ち主とその娘と、近所のおばさんで座り、あれこれと話をした。宿の人が通訳になってくれた。この人たちが、またよく笑う。私がしゃべると笑い、自分たちで言葉を交わしては笑い、宿の人に話しかけては笑っている。心の底から楽しそうに笑っている。
じつは笑わないことのほうが笑うことよりかんたんだ。笑うためには、笑うべきことを見つけなくてはならないのだから。とくに、疲れていたり、人と比べて何も持っていないと気がついたときは、笑うべきことを見つけている余裕もない。だからこそ、笑っている人というのは、ゆたかでたくましいと思ってしまう。貧しさも、疲れも、この人の心を曇らせることはできないんだな、と思ってしまうのだ。笑いというのは光だ。コーヒー屋のおばさんも、狭い家で暮らす家族も、強い光を放っているように私には思えた。その光で私も幸福になれた。人の品性とは、氏素性でも、持ちものの多さでもない、強い光を放っているか、ということだと私は思っている。
(笑いの放つ光)
人は死ぬがものは残る。残った物品のなかの故人の形跡は、生きている人を慰めることもあるが、ときに意味もなく苦しめ、かなしませもする。ものを作る人は、だれかをかなしませようとして何かを作り上げるわけでは決してないのに。私に何かあったらすべて迷うことなく捨ててね、とやはり言い残して、母は亡くなった。
その言葉は、使ってほしいのではない、作りたいから作ったのだという言葉と、私のなかで等しく響く。料理にしろ、針仕事にしろ、何かを作り上げる作業というのは、ときとして人を幸福にさせる。シュークリームを食べきれないほど作っていたとき、アランセーターを編んでいたとき、ちいさな端切れをつなぎ合わせてキルトを作っていたとき、母は幸福だったのだと思う。母ではなくて、ひとりの女性として、幸福だったのだ。幸福のお裾分けだから、無理に使うことはないのだと母は言っていたのだろう。私は今、レース編みもセーターもキルトも、ひとつずつを残して何も持っていない。母の言葉通りみな処分した。胸は痛まなかった。なぜなら私はすでに知っているからだ。それら仕上がった「物品」が母を幸福にしたわけではないのだと。
かって母が家族のためにせっせと作った料理やお菓子は、当然ながら今はない。けれどそれらは私の内にある。舌が、心がきちんと覚えている。セーターやキルトも同じ。ものがなくても、母が味わった幸福は、私の内にある。私の目は、心は、背を丸め編み針や縫い針を動かしていた母の姿と、そこに流れていた幸福な時間をきちんと知っている。失いようがない。
捨ててしまってね、とさらりと言った母の、その思いやりをこそ、私は大切にとっておくべきなのだ。
(母の残したかたちなきもの)