あらすじ
「ワぁ、ゴッホになるッ!」1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で青森から上京した棟方志功。しかし、絵を教えてくれる師もおらず、画材を買うお金もなく、弱視のせいでモデルの身体の線を捉えられない棟方は、展覧会に出品するも落選し続ける日々。そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。彼の「板画」は革命の引き金となり、世界を変えていく。墨を磨り支え続けた妻チヤの目線から、日本が誇るアーティスト棟方志功を描く。感涙のアート小説。


ひと言
これ!これ!原田 マハのファンが待ち望んでいた小説です。少し前にマハさんの「黒い絵」を読んで消化不良気味でしたが、これはほんとうに感涙のアート小説でした。3年ぶりのアート小説ということですが、マハさんこれからもこういうアート小説をいっぱいいっぱい書いてください。お願いします。余談ですが、少し前に青森旅行に行き、酸ケ湯温泉で棟方志功の板画がたくさん飾られていたり、棟方志功がデザインしたマッチ箱の絵などがあったのを見ましたが、酸ヶ湯は棟方が愛した温泉だったんだということを後で知り、棟方が入ったであろう千人風呂に入れたことに感謝です。



棟方は、十七歳のとき、友人に見せられたとある雑誌の中に、鮮やかな色つきのロ絵をみつけました。それは黄色く燃え上がる花〈ひまわり〉でした。見たこともないような花のたたずまい、花なのかどうかもわからないくらいの迫りくる激しさ。あの人は、ひと目で心を奪われてしまった。だから絵描きになる決心をしたんだと、教えてくれました。―― ワぁ、ゴッホになる! って。ゴッホに憧れて、絵画に恋焦がて、油絵のなんたるかもよくわからないままに、最初はがむしゃらに始めました。悪戦苦闘するうちに、やがてあの人が見出したのは、板画の道でした。版画ではなく「板画」です。戦時中、棟方が自分の仕事を自らそう名付けました。板を彫る、墨で摺る画。世界にたったひとつ、板上に咲く絵。だから板画なのだと。
(序章 1987年(昭和62年)10月 東京 杉並)

「君。いま版画の絵巻物と言ったね。ちょっと見せてくれないか」「困ります。いま展示作業ですので……」係員が困惑して応えた。が、棟方はすぐさま、壁に後ろ向きに立てかけてある四枚の長い額の中のひとつをひっくり退して見せた。ふたりの顔に稲妻のような閃光が走った。ふたつめを返すと、ふたりの目が鋭く輝いた。三つめを返すと、ふたりのロが半開きになった。そして最後のひとつを返すと、ふたりはじっとそれをみつめたまま、動かなくなった。あまりに長いあいだふたりとも黙りこくってしまったので、棟方は戸惑った。しかし、声をかけるのがはばかられるほどふたりが没入して見ているのがわかった。「…… これは……」最初に口を開いたのは丸眼鈍の男だった。「これは、すごい……この連続する文字……まるでザアザア雨が降っているみたいだ。こんな版画は見たことがない」興奮しているのか、その声は熱を帯びて少し震えていた。となりのロ髭の男は低くうなった。言葉がみつからない様子である。彼は振り向くと、そこに突っ立っていた係員に向かってきっぱりと言った。「君、これは四点全部展示しなければ意味がないものだ。二段掛けにしてもいいから、とにかく全部展示してくれたまえ」「えっ」係員と棟方は同時に声を上げた。即座に男が続けて言った。「私たちは工芸部の審査員だ。版画部の審査員の先生方に言っておくからとにかく四点すべて展示するように。いいですね?」審査員と聞いて係員は態度を豹変させた。彼は何度もふたりに向かって頭を下げ、必ず全四点を展示すると約東した。棟方はキツネにつままれたように、ぽかんとするばかりだった。それからふたりの紳士は〈大和し美し〉を隅々まで見て、しきりに嘆息したり、首を左右に振ったり、近づいたり離れたりして、一文字一文字を追いかけ、この上なくていねいに見てくれた。それだけで棟方の胸は熱いものでいっぱいになった。最後の一文字までを見終わると、ふたりは顔を寄せて何ごとかひそひそと話し合い、うなずき合った。そして、ふたりして棟方のもとへやって来た。「君、名前は?」口髭の男に問われて、棟方は我に返って答えた。「む…棟方。棟方志功と言います」男は徴笑んだ。棟方君。私は柳宗悦、彼は陶芸家の濱田庄司だ。私たちは君の作品に心底感じ入った。いや、ほんとうに……すっかり持っていかれてしまったよ」棟方は目を瞬かせた。
(1936年(昭和11年)4月 東京 中野)



ニューヨークやフィラデルフィアの美術館で、棟方はついにゴッホの「本物」の絵を見ることができました。「白樺」の一ページに初めて〈ひまわり〉を見た日から四十余年が経っていました。やっと、ほんとうにやっと巡り会えた。棟方の胸中には熱いものが込み上げていたに違いありません。かくなる上は、どうしてもゴッホ「本人」に会いに行きたい。会ってお礼を言わなければ気がすまないと言い張ります。お世話になった旧友にどうしても思返しがしたい、そんな感じで。そうしてついに棟方と私は、ゴッホ兄弟のお墓の前に立ちました、ふたつの墓石をふさふさと木蔦の緑の毛布が覆い尽くしていました。棟方はじっと黙り込んで、いつまでも墓標に向き合っています。よほど感無量なのだろうと、私も棟方同様、沈黙したまま墓標の前で頭を垂れていました。と、棟方が私の方を向きました。そして尋ねたんです。―― チヤ子、眉墨持ってるか?一瞬、耳を疑いました。―― 眉墨?持ってるけど、なんのために……?訝しがる私の手から眉墨を奪うと、あの人はポケットに畳んで入れていた大判の和紙を一枚、取り出しました。それを墓標にぴったり当てがって、その上を眉墨でこすりはじめたんです。
ICI REPOSE VINCENT VAN GOGH (フィンセント・ファン・ゴッホ ここに眠る)
白い文字が浮かび上がりました。なんと、ゴッホの墓碑銘の「拓本」をとってしまった。あの人は、ゴッホ兄弟のお墓に向かって深々と頭を下げました。そしてこう言ったんです。―― お許しください、ゴッホ先生。ワんどの墓、そっくりに造らせていただきます。
(終章 1987年(昭和62年)10月 東京 杉並)