あらすじ
オカルト、宗教、デマ、フェイクニュース、SNS。あなたは何を信じていますか? 口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、何が起きるかわからない今日をやり過ごすことが出来ないよ。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。


ひと言
久しぶりの角田 光代さんの本。角田さんらしい本だなぁと思いながら読みました。ノストラダムスの大予言、口さけ女、コックリさん 今の若い人には何のことかもわからない言葉だと思いますが、子どものころはすごくこわかったなぁと懐かしく思い出しました。ところで下に書いた小松菜やキャベツの葉の枕ってほんとうの話なの?信じていいの?

乳幼児が発熟した際、そんなに高熟でなければ小松菜やキャベツの葉を枕にしてやると、ゆるやかに熱が下がるというのは、科理教室の友人から勧められた本で知ったことだった。西洋医学に頼らない昔ながらの自然療法で、たとえば乗りもの酔いの防止には梅干しを食べさせるとか、あせもは挑の葉を煎じて風呂に入れるとか、そういうことの一環に青葉の枕があると知り、湖都が微熱を出したときに活用したのだ。
(第一部 望月不三子 1976)

りっちゃんの双子の赤らゃんについて話し続ける園花を抱きしめて不三子は思う。そうであったらどんなにいいか。母親は自分を置いてきぼりにしていったのではなくて、母親にしかこなせないたいせつな用事があったのだ。そうであればどんなにいいかと不三子だって思う。湖都だってそうだ。子どもを産めなかったのはわけもわからず打たれたワクチンのせい。得体の知れない新型ウイルスも、異様なスピードでできたワクチンも、だれかの思惑によるもの。そうであれば、どんなにいいか。理不尽の理由があったら、どんなにいいか。私たちのだれだってそうだ。何がただしくて何がまちがっているか、ぜったいにわからない今を、起きているできごとの意味がわからない今日を、恐怖でおかしくならずただ生きるために、信じたい現実を信じる。信じたい真実を作ることすらする。
(第二部 2021 望月不三子)