あらすじ
全七作からなる歴史小説短編集。戦国時代から江戸初期にかけての九州各地を舞台に、武家社会の「妻」の生き方を描いた短編集。豊臣秀吉の命で朝鮮に渡った夫に恋文を送る妻、キリシタンとしての生き方を巡って、夫と哀しくすれ違う公家の女など、七組の「愛」の形がここにはある。


ひと言
読み終えてやっぱり葉室さんの作品はいいなぁとつくづく思いました。今まで葉室さんの作品でこういう短編集ってなかったよなぁと思いながら、時代に翻弄されながらも山に咲く凛とした山桜のような可憐で強い女性たちの物語。題名の山桜記という名前もとても作品をよく表しているなぁと思いました。

千世はガラシャの小袖を胸に抱き、顔をあげた。涙がいく筋も頬を伝っている。何かを思い出す様子で千世は語り始めた。これまで、申し上げるのを憚って参りましたのは、ガラシャ様が亡くなられて後、わたくしが何を申し上げても言い訳になると思ったからでございました。関ヶ原の戦のおりに姉から言われるままガラシャ様に宇喜多屋敷へともにお渡りくださいますよう、何度もお願いいたしました。ガラシャ様に応じる素振りはございませんでしたゆえ、わたくしも屋敷に留まりますと申し上げたところ、それにもお許しはございませんでした。取り乱したわたくしが、なぜ、ともに残るよう言ってくださらないのでしょうか、と訴えますと、ガラシャ様は諄々(じゅんじゅん)とお諭しになられました。ガラシャ様は、キリシタンであるゆえ、自害するつもりはなかったけれども忠興様がそれをお許しになられず屋敷に留まるほか道はない、と言われました。そして、あらたまった様子で頼みがあると口にされ、自分が果たせなかったことを成し遂げて欲しいと仰せになったのです。果たせなかったこととは何でございましようか、とお訊きしますと、「夫をいとおしむ思いを貫くことです」とおっしゃられました。本能寺の変の後、忠興様とは心が通わぬ夫婦となったガラシャ様は、そのひややかな暮らしが堪えがたく、キリシタンとなってデウス様を大切に思うことでようやく生きる道を見つけられたのです。されど、かなうことならば夫婦として互いにいとおしむ道を歩んでみたかった、との思いがガラ シャ様にはおありでした。味土野に幽閉されていた間、幼い忠隆様を 慈しむことさえままならなかったのも心残りだとも仰せでした。わたくしが思いを貫き、ガラシャ様に代わって忠隆様のお幸せを見届けてくれれば、それがもっとも嬉しいことです、とおっしゃいました。時が迫る中、ガラシャ 様は辞世の和歌をわたくしにお示しになり、「ちりねべき時を知るとは、散るべき時は自らが決めねばならぬ、それでこそ、花であり、ひとなのだという思いを込めています。千世殿が散るのはいまではない、忠隆殿と思いを通わせ、花を咲かせた後のことです」と言われたのです。そのお言葉が胸に沁み、わたくしは燃え盛る炎を後に屋敷を出たのでございます。「さようであったのか」忠隆は感慨深げに深いため息をついた。
(参考 ガラシャ辞世 ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ)
(花の陰)

「そなたが頼宣様に嫁ぐ日が近づいたころ、父上が輿入れ道具に片鎌槍を入れるよう言い遺されたわけを訊いたことがありましたな」清浄院に言われて、八十姫は肥後を発つ前に疑心が胸を過(よぎ)った日のことを思い出した。片鎌槍を輿入れ道具の中に見つけたとき、清正の死への疑念を深めたのだった。侍女が供した茶を飲んでひと息ついた清浄院は、ゆったりした口調で問うた。「そなたは自らの名の謂れをご承知でありましたか」「父上がつけてくだされたことは存じております」「ハ十という名には意味があるのです」「どのような意味がございましょうか。お聞かせくだされませ」八十姫は首をかしげて訊いた。名の謂れなど初めて聞く話だった。「八と十の間には、本来は九があります。父上はそなたに苦労がないようにと願われて、九を除いた八十という名をつけてくだされたのです」「――苦のないように、と」「そうです。父上は豊臣家への忠誠と徳川家への義理の間で随分とお苦しみでございました。それゆえ、そなたには苦がない一生を歩友せたいと思われた父上は、徳川家に嫁すよう計られたのです」清浄院は清正の生前を懐かしむようにしみじみとした口振りで言った。「それでは、あの片鎌槍を輿入れ道具に入れられたのは……」「加藤家は徳川家に対し、もはや武器を持って戦うことはないとの心構えをそなたの輿入れの際に、愛用の槍を差し出すことで、お示しになられたのです」「さようでございましたか」父はそれほどまで深い考えを持ってわたくしの行く末を案じてくだされたのだ、と八十姫は感慨無量の面持ちで目を閉じた。清浄院は静かに茶を口にした後、言い添えた。「京で秀頼様を守護して家康様との対面を成し遂げられたおり、父上はいずれご自分が亡き者にされることを覚悟なされたと同時に、加藤家の行く末が安穏ではないと見抜かれたのではないでしょうか」「では、父上は加藤家がいずれ取り潰されることもお見通しであったと申されまするか」「さようです。天下泰平のためにはいたし方がないと思われたに違いありません。それだけに、徳川家にあって、そなたには苦のないように生きてもらいたかったのであろう、と思います」 ……。……。「母上、ありかたく存じます―― 」と目をうるませて言った。胸が詰まり、後の言葉が出てこない。清浄院は澄明な眼差しを八十姫に向けた。「そなたは加藤清正の娘です。清く正しき道を歩むよう心掛けたうえで、苦のないように生きなされ」苦のないように、とは苦しみを避け、逃れよと言い聞かせているのではない。物事に囚われる苦から離れ、おのれらしく生きよとの教えなのだと八十姫は思った。
(くのないように)

「わたくしひとり、何も知らずに参りました。恥ずかしゅうございます」「なんの。御方は甲斐にとって何としても守り抜きたい花であったのだ。花の美しさを守ろうとするひとの心を、花は知らずともよいのではないか」穏やかな笑みを浮かべて忠茂はやさしく声をかけた。貞照は静かに目を閉じた。瞼の裏には、若き日の原田宗輔の笑顔が浮かんでいた。 二年後―― 忠茂は広間で庭を眺めながら上屋敷の鑑虎に手紙を認めていた。傍らに座っていた貞照が声をかけた。「何のお手紙でございますか」「牡丹を贈ってもろうた礼状だが、花の蓄が開くところも見たいと思うたゆえ、牡丹の木を下屋敷に移し替えてはもらえぬかと認めておる」書く手を止めずに忠茂は言った。「ならば、わたくしからも願いがございます」「ほう、御方が願い事とは珍しいな。どのようなことだ」「牡丹を移すおりは根から土が落ちぬよう、そして牡丹が気づかぬようにそっと移して欲しいのでございます」貞照の言葉に、忠茂は目を細めた。「牡丹が気づかぬようにか――」「さようでございます」「よきことを申す。なにゆえ、さように思いついたのじゃ」忠茂はやわらかな眼差しで貞照を見つめた。貞照は微笑んだ。「それが花の幸せにございますゆえ」
(牡丹咲くころ)